藤田一照

曹洞宗僧侶

プロフィール

1954年(昭和29年)、愛媛県に生まれる。東京大学教育学部教育心理学科卒業。東京大学大学院教育学研究科教育心理学専攻博士課程を中途退学し、兵庫県にある曹洞宗の紫竹林安泰寺にて得度、僧侶となる。1987年よりアメリカ合衆国マサチューセッツ州西部にあるパイオニア・ヴァレー禅堂に住持(住職)として渡米、近隣の大学や仏教瞑想センターなどで禅の講義や坐禅指導を行う。2005年に帰国。2010年より2018年までサンフランシスコの曹洞宗国際センター所長(第2代)を務め、グーグル、スターバックス、フェイスブックなどアメリカの大手企業でも坐禅を指導。現在、三浦半島の葉山を拠点に坐禅会、講演、執筆などを行なっている。
著書に、『現代坐禅講義―只管打坐への道』(角川ソフィア文庫/佼成出版社)、『アップデートする仏教』(山下良道氏との共著、幻冬舎新書)、『禅の教室―坐禅でつかむ仏教の真髄』(伊藤比呂美との共著、中公新書)、『ブッダが教える愉快な生き方』(NHK出版)、『現代「只管打坐」講義―そこに到る坐禅ではなく、そこから始める坐禅』(佼成出版社)、『禅 心を休ませる練習』(だいわ文庫)など多数。

講義一覧


坐禅で自分を「非社」にして、あらゆる機会を学びにする

禅とは何か~禅と仏教の心(7)非社とオーガニック・ラーニング

坐禅をするのは「非社」になること――非社とは、社会を否定しているわけではなく、名刺にあるような社会的次元を超えている状態を指す。例えば、XとYの座標でいえば、自分の状態をその中に位置づけることができるのは座標上の原点があるからで、その原点が非社だという。よって、今の置かれた立ち位置からいったん離れてみる、自由になることが大事で、その体験ができるのが禅の修行である。禅は学びであり、あらゆる機会が学びになるという「オーガニック・ラーニング」の考え方につながるのだ。(全7話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)


酔っぱらった自分から覚めよ…悪魔が降参したブッダの悟り

禅とは何か~禅と仏教の心(6)目覚めの宗教とブッダの遺言

私たちは現実に痛みをもたらす「苦」は感じても、おおもとの「惑」は見えない、私たちの認識は欲望に曇らされ、真実の姿が見えないからだ。それは、いわば酔っ払った状態だと一照師はいう。そのままで修行を続けるより、まずは「覚める」訓練を重ねるのが禅であり、「目覚めの宗教」ということだ。ブッダの遺言は「覚醒者」として、後世に「後に続け」と促すものだった。(全7話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)


火箸で考える…「空」は奪う教え、「縁起」は与える教え

禅とは何か~禅と仏教の心(5)空と縁起

火箸を通して縁起を説明するのが一照師のやり方だ。囲炉裏に刺された火箸は、使い方によっては武器にも孫の手にも、さらには筆記用具にもなる。どんなものも使い手の行為と無関係ではないということだ。人間も同様で、さまざまな役割をはぎ取った真の私は存在しない。それが縁起の世界観であり、はぎ取るのが「空」、与えるのが「縁起」。仏教用語では「掃蕩門」と「建立門」にあたるその意味について解説する。(全7話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)


「私が世界で、世界が私」…禅で体感する「縁起」の感覚

禅とは何か~禅と仏教の心(4)与格への変容と関係論的世界観

欲望を軸とした根本構造の誤りに気づいて坐禅を組んでいると、私が主格から与格へ変容するという。私へのとらわれがなくなると、仏教の大きな教えである「縁起」のしくみもおのずと判然する。それは全てが関係の網の目の中で起きる「関係論的世界観」であり、世界はバラバラの個の集合ではないということだ。(全7話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)


禅に「神秘体験」を求めるのは自分中心の物欲しさの根性

禅とは何か~禅と仏教の心(3)菩提達磨と問いの禅

仏教には「今ないものを欲しがり、今より向上しよう」とする人間の根本的構造に間違いがあるという認識がある。中でも特に実践が主体の禅はそのことに厳しい。それは第一ボタンのようなもので、掛け違えると最後にいくらがんばっても帳尻が合わない。だから、禅の始祖・菩提達磨に弟子入りするため臂を切断した逸話のように、第一ボタンまでさかのぼる覚悟が禅の修行には要求される。答えではなく問いが返ってくるのが禅なのだ。(全7話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)


「ブッダに帰れ」――禅とは己事究明の道

禅とは何か~禅と仏教の心(2)仏典漢訳から日本仏教へ

禅とは己事究明の道であるとして、本当の己は何かを究明していく。インドから伝わった仏教を中国が受容するには仏典漢訳の手続きがあり、経典のことばを尊ぶ傾向が生まれる。経典よりブッダ自身に学ぼうとしたのが禅の芽生えである。これが日本に伝わると、より日本人になじみやすくその形を変えていく。それが道元や親鸞の描く仏教である。(全7話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)


自発性を重んじる――藤田一照師が禅と仏教の心を説く

禅とは何か~禅と仏教の心(1)アメリカの禅と日本の禅

大学院を中退して禅の道に進み、アメリカ東海岸で18年間禅堂を開いた藤田一照師に、禅と仏教の心について話を聞いていく。アメリカの禅にはすでに百年近い歴史があり、最初に鈴木大拙が伝えたといわれている。その後、一時はカウンターカルチャー世代に、現在は全ての年代に「神秘的で魅力的な教えと実践。また美的要素を併せ持つ東洋の伝統」と捉えられているという。その禅の特徴として、「自発性」の強調を説く。どういうことなのか。アメリカの禅と日本の禅、それぞれの成り立ちと特徴について解説する。(全7話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)