浜崎洋介

文芸批評家/ 京都大学経営管理大学院特定准教授

プロフィール

1978年生まれ。文芸批評家。雑誌『表現者クライテリオン』編集委員。日本大学芸術学部非常勤講師。京都大学・経営管理大学院特定准教授。
東京工業大学大学院社会理工学研究科価値システム専攻博士課程修了。博士(学術)。専門は日本近代文学、批評理論。
『小林秀雄の「人生」論』(NHK出版新書)で、第31回山本七平賞奨励賞受賞。
著書に『福田恆存 思想の〈かたち〉』(新曜社)、『反戦後論』(文藝春秋)、『三島由紀夫 なぜ、死んでみせねばならなかったのか』(NHK出版)、『ぼんやりとした不安の近代日本』(ビジネス社)などがある。

講義一覧


福田恆存「快楽と幸福」から読み解く日本人の流儀

福田恆存とオルテガ、ロレンス~現代と幸福(8)幸福論へ――日本人の流儀に向けて

日本の固有の歴史や自然につながっていることが、日本人にとって重要だと論じた福田恆存。その人間論は日本人の「幸福」のためにこそ必要とされる。ポストモダニズムとネオ・リベラリズム、そしてグローバリズムが加速する中で失われてきた日本人の流儀、その自然観を取り戻し、幸福へと至る方途を、福田恆存の「快楽と幸福」を読み解きながら受け取ろう。(全8話中第8話)


宮本武蔵「我事に於て後悔せず」の真意と福田恆存の宿命観

福田恆存とオルテガ、ロレンス~現代と幸福(7)日本人の「自然観」

歴史や自然につながっていない人格は崩壊する。そう論じた福田恆存の人間論は、小林秀雄の自然観と軌を一にする。禅宗の修行や宮本武蔵の思想を参照しながら日本人が依拠すべき自然観を論じる小林の議論を追い、福田との共通点を探る。(全8話中第7話)


自由とは奴隷の思想ではないか…福田恆存の人間論とは

福田恆存とオルテガ、ロレンス~現代と幸福(6)福田恆存の人間論――演戯と自然

ロレンスの『黙示録論』を通じて、日本人の依拠すべき自然観を模索した福田恆存。その思考は、演戯と自然が日本人の宿命感をもたらすという独自の人間論に結実する。「醒めつつ踊り、踊りつつ醒める」という演戯とは何か、また、そこで要請される死への信頼とはいかなるものなのだろうか。(全8話中第6話)


福田恆存の思想の根幹にあるロレンスの『黙示録論』とは

福田恆存とオルテガ、ロレンス~現代と幸福(5)ロレンス『黙示録論』と人を愛する道

戦時下にあってロレンスの『黙示録論』を翻訳し、戦後にはその出版にこぎつけた福田恆存は、同書から思想的に大きな影響を受けていた。近代化によって個人主義と全体主義の板挟みとなった人間は、どのようにして他者との愛を育む契機を取り戻せるのか。そこでロレンスは「自然との一体化」の必要性を説く。(全8話中第5話)


「一匹と九十九匹と」…政治と文学の関係を問うた福田恆存

福田恆存とオルテガ、ロレンス~現代と幸福(4)福田恆存とは誰か?

福田恆存とはいったい誰なのか。消費社会化した日本の「大衆化」の問題を指摘し、また大きな業績の1つとして『シェイクスピア全集』を全て翻訳した福田恆存の思想に迫る前段として、彼の生涯、その人物像を確認しておきたい。下町で育った福田恆存の身体感覚が、政治では救えない「一匹」を巡る人間論に至るまでを解説する。(全8話中第4話)


『大衆の反逆』でオルテガが指摘した「大衆化」の問題とは

福田恆存とオルテガ、ロレンス~現代と幸福(3)「大衆化」とは何か

1970年代、高度経済成長を迎えた日本の自然観は、大きく変容していった。社会が消費社会化することで起こる人々の精神的な変化を、日本に先んじて20世紀初頭に経験したヨーロッパにおいて、それを「大衆化」の問題として指摘したのがスペインの哲学者、オルテガだった。歴史を忘却することで起こる「大衆化」がなにをもたらす帰結とはいったい何か。そして1970年にオルテガと同様の指摘をした福田恆存の議論を確認しよう。(全8話中第3話)


70年代以降の大衆化、根こそぎ変わった日本人の「自然観」

福田恆存とオルテガ、ロレンス~現代と幸福(2)日本人の「自然観」の変質

日本人の「自然観」はなぜ変質してしまったのか。この問いに対して、1970年代以降の「大衆化」が決定的だったという浜崎氏。いったいどういうことなのか。1960年代の安保闘争や高度経済成長を経て大きく変化を遂げた日本の社会構造と、それによって変質した日本人の自然観について、見田宗介の言葉などを引用しながら分析する。(全8話中第2話)


小林秀雄から福田和也まで、日本の文芸批評史を俯瞰する

福田恆存とオルテガ、ロレンス~現代と幸福(1)曖昧になった日本人の「自然」

前近代と近代、戦前と戦後といった社会の転換期において、日本人の精神的な拠り所には大きな「ズレ」が生じていた。それを指摘し、そのズレを縫合する方法を模索したのが小林秀雄や吉本隆明といった文芸批評家である。彼らの議論を端緒に、日本の文芸批評はどのように日本人の精神性を論じてきたのだろうか。「自然」をキーワードに、まずは、小林秀雄から福田和也までの日本の文芸批評史を振り返ろう。(全8話中第1話)


小林秀雄“最後の弟子”福田恆存の言葉と日本人の「自然」

小林秀雄と吉本隆明―「断絶」を乗り越える(7)改めて問われる、日本人の「自然」

小林秀雄が「伝統」と「直感」、吉本隆明が「大衆の原像」と「対幻想」という言葉でそれぞれ論考している“日本人の「自然」”。戦前・戦後を越え、昭和から平成へと向かう中、ニーチェから始まるポスト・モダニズムが堕落し、2000年代以降、ネオリベラリズムとグローバリズムの跋扈と生活世界の溶解が進む昨今、小林秀雄と吉本隆明の思想を再検討する意味は大きい。シリーズ最終話の今回は、柄谷行人、東浩紀、福田和也という3人の批評家を取り上げながら、小林秀雄が「最後の弟子だ」と言った福田恆存の言葉を引いて講義を締めくくる。(全7話中第7話)


江藤淳と柄谷行人、1960年代に彼らが感じた焦燥感とは

小林秀雄と吉本隆明―「断絶」を乗り越える(6)小林・吉本以降の批評:江藤淳と柄谷行人

小林秀雄と吉本隆明以降の批評家にはどのような人物がいるのか。時代背景としては1960年代、つまり60年安保闘争から高度経済成長期ということになるが、この時期の批評家で代表的な人物といえば、江藤淳と柄谷行人ではないだろうか。この2人について理解することで、小林と吉本からどのようなものが受け継がれてきたか、その内実がよく分かる。(全7話中第6話)


なぜ吉本隆明は60年安保の時に進歩的知識人を批判したのか

小林秀雄と吉本隆明―「断絶」を乗り越える(5)吉本隆明の思想――大衆の原像と対幻想

大衆の原像と対幻想――これは「戦後最大の思想家」といわれる吉本隆明の象徴的ともいえる言葉だが、いったいどのような思想にもとづくものなのか。今回は、吉本隆明の思想を初期から中期、そして後期とたどりながら、この2つの言葉について考察し、その思想をより深く理解していきたい。詩人として活動を始めた吉本隆明はその後、進歩的知識人の欺瞞を批判するようになり、後期に至っては自然としての性を強調する。(全7話中第5話)


吉本隆明の思想を凝縮した敗戦時20歳の回想「戦争と世代」

小林秀雄と吉本隆明―「断絶」を乗り越える(4)純粋戦中世代の葛藤―吉本隆明の「起点」

「戦後最大の思想家」ともいわれる吉本隆明について考える第4話。伝統を重視する小林秀雄を保守と捉えるならば、吉本隆明は新左翼を肯定する左派のイメージが強いが、実際は異なる。そこで、まずは純粋戦中世代である吉本隆明の遍歴時代をたどりながら、その後の思想的背景を理解していきたい。(全7話中第4話)


デビュー論文「様々なる意匠」小林秀雄の試みと直観の真意

小林秀雄と吉本隆明―「断絶」を乗り越える(3)小林秀雄の批評

大正から昭和初期にかけて起きた戦争景気、関東大震災、昭和恐慌など時代の荒波は、日本国民の心に多くの影響を与えた。そうした中、昭和4(1927)年に「様々なる意匠」という論文で文壇にデビューした小林秀雄は、これらの人々の内的感覚に近代を接ぎ木していくのである。今回の講義では、小林秀雄がそこで提示した「直観」という言葉を通じて社会と交わること、そして、「直観」を豊かにすることについて解説する。(全7話中第3話)


小林秀雄をより深く理解するための「近代日本小史」

小林秀雄と吉本隆明―「断絶」を乗り越える(2)なぜ「批評」は昭和初期に登場するのか

日本は明治維新によって西洋近代化へと大きく舵を切るが、それは大きな矛盾を抱えた大改革だった。そして「和魂洋才」という言葉が象徴するように、日本の国体主義と西洋の資本主義を両輪に推し進めた結果、経済は発展していった一方で農村の荒廃を招き、人々の不安が広がった。その揺れ動く心を支えたのが小林秀雄の論評だった。今回は明治維新から小林秀雄の登場までを、近代日本小史として解説する。(全7話中第2話)


小林秀雄と吉本隆明の営為とプラグマティズムの格率

小林秀雄と吉本隆明―「断絶」を乗り越える(1)「断絶」を乗り越えるという主題

日本の文芸批評に大きな足跡を残した人物といえば、戦前の小林秀雄と戦後の吉本隆明の2人が挙げられる。そして、日本が近代の激動の時代を乗り越えていく中で、文学はその狭間を生きる人々にとって心の支柱となった。今回から7回にわたる「小林秀雄と吉本隆明」についての講義では、その時代の日本人の心や思想に文学がどのように影響していったのか、そして今の日本の繁栄を築くことができた原点を、この2人の批評家から読み解いていく。(全7話中第1話)