講義一覧
源氏将軍断絶と承久の乱(12)新たな朝幕関係と北条泰時政権
承久の乱は、朝廷と幕府の関係にとって劇的な転換点であった。朝敵と名指しされつつも戦いに勝利した北条義時は、乱の3年後で急死。息子の泰時が三代執権を引き継ぐ。徳政に徹した泰時は権力を独占せず、評定衆による合議制を取り入れ、また、武家の最初の法典「御成敗式目」も制定する。北条泰時が日本の歴史に残したものとは何だったのか。(全12話中第12話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
源氏将軍断絶と承久の乱(11)承久の乱
承久の乱は日本史上唯一、官軍が敗北を喫した内戦である。京方を率いたのは治天の君である後鳥羽上皇その人だったが、その目的は鎌倉幕府の壊滅ではなく、トップである北条義時の交代だったと考えられる。しかし、鎌倉方の武力にはかなわず、朝廷から幕府へ権力が動き、東西の境もまた揺らいでいく。(全12話中第11話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
源氏将軍断絶と承久の乱(10)後鳥羽上皇との対立の火種
親王将軍に代わり2歳の三寅が将軍予定者として迎え入れられる。これに異を唱えたのが摂津源氏の源頼茂だが、謀反は計画段階で漏れ、追い詰められた頼茂は大内裏に火を放つ。いたく傷つけられた後鳥羽上皇の心は、幕府への憎しみとなる。一方、集団体制の幕府内では北条義時がそれまで署名に用いていた「右京権大夫」という役職を「陸奥守」に変えた。このことが意味することとは。(全12話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
源氏将軍断絶と承久の乱(9)源実朝暗殺事件と後継問題
朝廷・将軍・御家人の三者を満足させるはずの「親王将軍推戴」プロジェクトは、思いがけないかたちで頓挫する。第二代将軍・源頼家の遺児で、鶴岡八幡宮の別当職として鎌倉に戻った公暁が、右大臣拝賀式で鶴岡八幡宮を訪れた源実朝を暗殺してしまうのである。古くから、この事件には黒幕がいたと指摘されてきた。はたして、事件の真実はどこにあるのか。(全12話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
源氏将軍断絶と承久の乱(8)親王将軍推戴構想
唐船による渡海の夢が破れた後、源実朝は奇想天外の策を思いつく。子のなかった彼は、後鳥羽上皇の親王を将軍にいただき、後継者問題を解決するとともに、幕府の権威を高めようと考えたのである。この構想は後鳥羽上皇側にも北条側にも有利であったため、プロジェクトは実現に向けて着々と進んでいく。(全12話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
源氏将軍断絶と承久の乱(7)将軍権威の増大と唐船の建造
実朝が親裁(自ら裁決を行なう)する政治は非常に安定し、将軍権力は、後鳥羽上皇のバックアップを受けた「政所別当九人制」により、ますます盤石となった。そのような折、実朝は鎌倉へ拝謁に来た宋の工人・陳和卿から「将軍の前世は、医王山の長老だ」と言われ、渡宋して医王山を参拝するという名目で唐船の建造を命令する。だが、その命令の裏には、日宋貿易への思いがあったのではないだろうか。(全12話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
源氏将軍断絶と承久の乱(6)源実朝の政と和歌
源実朝を歌人として知る人も多いだろう。和田合戦直後に彼が編んだ『金塊和歌集』は後世の評価も高い。だが、それだけに実朝を「文弱」と指摘する傾向も続いてきた。しかし、和歌は幕府のトップとして朝廷のトップと渡りあう彼にとって必須の「政(まつりごと)のツール」であった。後鳥羽上皇に贈った歌から実朝の深い思いが伝わってくる。(全12話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
源氏将軍断絶と承久の乱(5)和田合戦
和田合戦は、鎌倉幕府初期における最大の武力抗争であった。有力御家人である和田氏と北条氏の間にくすぶっていた対立は、「泉親衡の乱」をきっかけに発火する。北条に恥辱を与えられたとする侍別当の和田義盛は挙兵するが、一族の三浦義村の策謀により敗北を喫し、北条執権体制がほぼ完成する。(全12話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
源氏将軍断絶と承久の乱(4)源実朝の将軍親裁と政所、侍所
18歳になった将軍・源実朝は従三位に上り将軍家政所を設置する。当初、実権は北条政子・北条義時が握るが、成長して「将軍親裁」を始めた実朝と北条氏との力関係が微妙に変わっていく。義時は「二代執権」となり実朝を支えていくのだが、有力な御家人たちを失脚へと追い込んでいった義時にとって、幕府の中で邪魔になるのは侍所の別当を残すのみとなる。(全12話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
源氏将軍断絶と承久の乱(3)北条時政の失脚と牧氏事件
畠山重忠の死は、無実であったゆえに罠を仕掛けた北条時政の立場を著しく悪化させる。若き源実朝の身柄をめぐり、北条政子・北条義時との駆け引きの末、追い詰められた時政は失脚、伊豆に隠居となる。これが牧氏事件である。こうして有力な御家人たちが次々と退場していく中、幕府の実権は北条義時へと移っていくことになる。(全12話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
源氏将軍断絶と承久の乱(2)なぜ畠山重忠の乱は起きたのか
幼い三代将軍・源実朝を擁立し、執権の座に就いた北条時政。権勢をふるう中、京都と縁の深い後妻・牧の方を通じて実朝の御台所選定が始まるが、そうした中、ある口論をきっかけに有力御家人である畠山氏排除をもくろむ。なぜ「坂東武士の鑑」と称された畠山重忠は打ち取られてしまうのか。(全12話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
源氏将軍断絶と承久の乱(1)比企の乱から源実朝の将軍就任へ
源頼朝が急死したあと、若くして二代鎌倉殿になった源頼家。そこで勢力が増してきたのがその後見人になっていた比企氏だ。北条氏をはじめとする有力御家人たちとの緊張関係の中、頼家が突然、重い病気に罹ってしまう。危篤に陥る鎌倉殿の後継者をめぐって、比企の乱が起こる。ここで思いがけないことが起こる。頼家が生き返ったのだ。しかし、これがやがて悲劇へと進むことになる。源実朝が三代将軍になり、朝廷から官位も与えられる。この時代、位階が持った意味とはどのようなものだったのか。(全12話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
鎌倉殿と北条氏(9)承久の乱を経て「武家の時代」へ
「武者の世の扉を開いた」一人として、平清盛がなし得なかった「幕府」という組織をつくった源頼朝。その後、源氏三代による「貴種の幕府」が続くが、北条氏の台頭に伴う御家人同士の争いを経て、尼将軍を戴く「東国武士による自立した幕府政治」が始まる。これに異を唱えた後鳥羽院による「承久の乱」で北条氏側が勝利し、いよいよ真の「武家の時代」が始まることになる。こうした時代の転換点を振り返りながら、その歴史的意味を考える。(全9話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
鎌倉殿と北条氏(8)御家人同士の主導権争いと和田合戦
「承久の乱」という大きな歴史の流れに向かう一方、鎌倉幕府内部では北条氏が御家人の中心を占めるための地域紛争が連続していた。梶原景時、畠山重忠などの滅亡後、鎌倉幕府にとっても北条氏にとっても極めて重要な争いとなったのは「和田合戦」である。都にまで影響を与えたこの乱は藤原定家の『明月記』にも記され、「官軍対賊軍」の構図で描かれている。(全9話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
鎌倉殿と北条氏(7)源実朝から北条政子・義時の時代へ
3代将軍・源実朝は『金塊和歌集』を編んだ天才歌人として名高いなど文化的イメージが強いだけに「北条氏の傀儡だろう」という説が唱えられたが、事実はそうではなかった。実朝は「将軍親裁」を実行し、それを支えたのが執権・北条義時であった。実朝は後継者に恵まれなかったため後鳥羽院との関係を利用して「親王将軍」を構想するが、右大臣拝賀の日に悲劇は訪れた。(全9話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
鎌倉殿と北条氏(6)源頼家と母・北条政子の関係と悲運
『吾妻鏡』によると、北条政子は息子である2代将軍・源頼家に対して冷酷な母だったとされるが、はたしてそうなのか。また近年、「鎌倉殿の13人」による合議制は頼家の将軍権力を補佐する制度だと考えられるようになったことなどもあり、『吾妻鏡』という史料に対するこれまでの見方を見直す必要がある。今回はその点も踏まえて、鎌倉幕府誕生の経緯を追いながら、源頼朝の思いとともに頼家と政子の実像について考えていく。(全9話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
鎌倉殿と北条氏(5)源頼朝の妻となった北条政子の実像
北条政子には源頼朝没後の「尼将軍」イメージが強いが、彼女をそのように成長させたのは頼朝とともに苦労をした戦乱下の数々の体験だった。伊豆で生まれ育った、ありふれた武士の娘から御台所となった政子が頼朝と東国の武士たちをつなげる重要な役割を果たしていくことになるのだが、色好みの頼朝に苦労させられたエピソードも数多く、苛烈なものである。(全9話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
鎌倉殿と北条氏(4)流人の恋と貴種流離譚〈下〉
八重と別れた源頼朝は北条政子と結びつくことになるのだが、注目すべきは伊東氏のもとにいた流人・頼朝がなぜ北条氏のところに行くことになったのかということだ。貴種流離譚では悪逆非道の人物として描かれている伊東祐親だが、実際はどうだったのだろうか。頼朝との関係について解説する。(全9話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
鎌倉殿と北条氏(3)流人の恋と貴種流離譚〈中〉
源頼朝と別れた後の八重の運命は不詳だが、再嫁した八重がその後、頼朝を通じて北条義時に嫁いだのではないかと考えられている。そうであれば、御成敗式目を制定した北条泰時は、八重の産んだ子である可能性が高い。いずれにせよ、八重との別れが頼朝と北条政子を結びつける縁となった。(全9話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
鎌倉殿と北条氏(2)流人の恋と貴種流離譚〈上〉
執権北条氏の始まりは、流人・源頼朝の恋多き資質と関係が深い。最初の事件は伊東祐親の末娘・八重との悲恋であり、その別れが北条政子との出会いへとつながっていく。そこには「貴種流離譚」という物語の型が重なるため、事実は見えにくくなっているが、貴種として京都で養われた頼朝の色好みが関東武士の常識を揺るがせたことがうかがえる。(全9話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
鎌倉殿と北条氏(1)北条氏はなぜ権力闘争を勝ち抜いたのか
公家の世から武士の世へと大きく転換した時代、その舵取り役を果たしたのは、いうまでもなく東国武士たちだった。とりわけ源頼朝の妻となった北条政子とその実家である北条氏が、大きな役割を果たすことになっていく。ここでは、北条氏が源頼朝を支えることになる経緯を中心に、北条時政・政子・義時というキャラクター際立つ3人について解説する。(全9話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)