講義一覧
渡部昇一の「わが体験的キリスト教論」(6)グローバリズムの弊害と宗教心の尊さ
渡部昇一氏のドイツ留学体験を通して学ぶべきものは多い。特にキリスト教と西洋の歴史を追体験することにより、西洋社会に対する理解は厚みを増していく。まさに「西洋の本当のことは、キリスト教が分からなければ分からない」のだ。そして今、グローバリズムが進展し、それに対する批判が高まる世界において考えるべきは、再び「三十年戦争のようなことを起こさないためにはどうすればいいか」ということだ。そのためにも、この『わが体験的キリスト教論』などを通して、「キリスト教社会の本質とは何か」を学ぶことは、とても重要なことだといえるだろう。(全6話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一の「わが体験的キリスト教論」(5)バッハと「受難の典礼」
ルター派の音楽家として最大の名前はバッハである。ルター派は、人間の五官の歓びに厳しい目を向けたが、なぜか耳=音楽だけは重視した。その伝統に則り、バッハは「自分の音楽が優れれば優れるほど、神様の栄光を表すものだ」と考えて、作曲に励んだ。そのようなバッハの音楽が、あの残虐だった三十年戦争からわずか半世紀ほどで生み出されていることに、とても深い意味がある。渡部昇一がバッハの典雅な音楽に目覚めたのは、ドイツ留学中にバッハの「マタイ受難曲」を聴いたことがきっかけだった。だが、その数日後、ベルギーの修道院で「受難の典礼」を体験する。その2つの体験は、大きな気づきを渡部昇一に与えた。(全6話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一の「わが体験的キリスト教論」(4)三十年戦争の悲惨
ウェストファリア体制は「近代ヨーロッパの始まり」といわれる。しかし、それに先立つ「三十年戦争」は災厄と呼べるレベルの宗教戦争であった。それがあまりに悲惨な戦争だったために、その後、ドイツでは、根強い宗教対立感情は残るものの、社交の場で「宗教の話」を持ち出すことはタブーとされるまでになった。だが、ウェストファリア条約で「領主の宗教がその地区の宗教」という決まりごとが確定することになったため、その人がどの宗派に属するかは、出身地次第という姿になっていく。作曲家の多くも、だから出身地の別によって宗教が分かれているのである。(全6話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一の「わが体験的キリスト教論」(3)大いなる「教会の力」
日本とドイツはともに第二次世界大戦の敗戦国として奇跡的な経済復興を遂げた。ドイツの場合、日本人の想像以上に、実はキリスト教の力によるところが大きかった。しかも、教会が果たした役割はとても大きいものだった。キリスト教の最も大切な原点は「原罪」にあり、そのため戦後のドイツで贖罪意識が強まったことが、クリスチャンらしさを濃く際立たせる1つの契機となった。そして、戦後のドイツを、教会に人と金が集まるシステムが支えたのである。(全6話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一の「わが体験的キリスト教論」(2)カトリックとプロテスタント
渡部昇一氏は『わが体験的キリスト教論』(原題『ドイツ留学記(下)』)で、「猿の神学、猫の神学」という興味深い話を紹介している。これはカトリックとプロテスタントの違いを、動物の習性になぞらえて説明したものだが、この両者の違いについても、「ルターが免罪符に反対して新教を立ち上げた」などと教科書的なことを覚えているだけでは、その「本当のところ」は到底理解できない。日本は近代ヨーロッパから大きな影響を受けているが、キリスト教への理解がなくては、彼らとの思想や行動の違いは分からないままだ。ヨーロッパにおけるキリスト教の世界観をひも解いていく。(全6話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一の「わが体験的キリスト教論」(1)古き良きキリスト教社会
渡部昇一氏には、若き頃に留学したドイツでの体験を記した『ドイツ留学記(上・下)』(講談社現代新書)という名著がある。1955年(昭和30年)から3年間、ドイツに留学した渡部昇一氏が、その留学で身近に接したヨーロッパ文明のあり方について論究した見聞録だが、下巻は、見事なキリスト教社会論になっている。当時のドイツにはまだ「古き良きキリスト教社会」が息づいていたが、若き渡部昇一氏は、その奥深くにまで入り込み、そこで出会った人々や事柄から、キリスト教社会の内側がどうなっているのかを、生き生きと描き出したのだ。このたびその下巻が『わが体験的キリスト教論』(ビジネス社)というタイトルで復刊されるにあたり、長男・玄一氏に父の著書にまつわるお話をうかがった。(全6話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(10)本と学びと人生を愛する力
本を買ったのでお金がない。本が積み上がって置き場がない、床が抜けてしまう……。本は、所有者を困らせることばかり。しかし、だからこそ、本の所有者は、本によって「自分の人生を愛する力」を手にすることができる。「この本を買ったのは、いつ頃」「あの本を読んだのは、こんなときだった」など、思い出を本と共に蓄積していくことができるからだ。便利さを追求する生活は人間から知性を除き、ひいては愛も抜いてしまう。逆に、西田幾多郎も喝破したように、知性の極まるところが愛なのである。そして、読書や学びは、死ぬまで尽きせぬ楽しみを与え続けてくれるのである。(全10話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(9)本は自分で所有する
渡部昇一先生の書籍に対する根本的態度は、「本は自分で所有する」ということだった。電子書籍よりも、紙の本がいい。自分が必要だと思ったら、自分の本なのだから、赤線を引いたり、書き込んだりすることをためらわない。そうやって読み込んだ本を自分の書棚に入れておけば、それが「自分の頭の外部化」になる。つまり、そうすることで、もう一回読み返したときに、「あのとき自分はこんなことを考えてたのだ」と思い出せるのである。さらにいえば、本は、たとえ読まなくても、書棚に並べておくだけで知性を身につけることができる。それは、なぜなのか。(全10話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(8)芸術の「特性」とは何か
20世紀の大ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタイン。彼の自伝は、『チャップリン自伝』並におもしろい。彼は若いころ遊びまくり、数多くの武勇伝を残してきた。だが、第二次世界大戦を機に、音楽の深みが増していく。その1つの理由として挙げられるのは、ルービンシュタインが、ポーランド出身のユダヤ人だったことである。多くの在ポーランドのユダヤ人たちがナチスドイツに虐殺された悲劇は、彼にとっては生涯忘れられないことであった。また、芸術の特徴を決めるものとして、「人間の器」のほかに「血」の部分もある。ロシア人の音楽や文学は、やはりロシアならではのものである。(全10話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(7)乗り越えて掴む「明るさ」
チェリストの巨匠フルニエは、演奏家がつらい練習を何百回、何千回も重ねるのは「優しい人間になるため」だと語ったという。この言葉は、勇気を与えてくれる。「自分が成功するため」といった直接的なことよりも、もっと内面的な目標なり、結果を示してくれる言葉だからである。たしかに、「自分が成功するため」ということを究極的に求められる「コンクール」全盛時代になってから、音楽家はダメになったようにも思われる。カフェやバーなどで演奏するところからはじめて、なるべくして大演奏家になった人たちのほうが、「力」も「心」もはるかに高いものを持っていたのではないか。(全10話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(6)先祖信仰とカトリック
カトリックは、キリスト教への信仰のなかから「魂の不滅」を掴む。一方、古来日本人は、「先祖が見ている」「子孫からも恥ずかしくない先祖になれ」というような考え方を通して「日本的な魂の不滅」を実感していた。渡部昇一先生には、その両方の感覚が色濃くあった。渡部昇一先生は、むしろ、カトリックに飛び込んだことによって、より客観的に「日本的な魂の不滅」を捉え直したのではないか。キリスト教の「ゴッド」と日本の「神」は異なるが、先祖崇拝をしている日本人ほどキリスト教や「ゴッド」を理解しやすいものである。そして日本人は、外国人の著作でも、キリスト教に立脚しつつも仏教的な感覚を帯びたものを愛するのである。(全10話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(5)勇気を持つには何が必要か
激しい論争にも臆せず突き進み、反対派の抗議運動の闘士たちに、大学での講義で毎時間突き上げられても絶対に折れなかった渡部昇一先生。自宅にも脅迫状や電話が舞い込んでくる。しかし渡部昇一先生は、自身の心の中で『菜根譚』の「雁寒潭をわたる」という言葉を唱えて、どれほど厳しい局面に立たされているのかを家族にも悟らせなかった。どうして、そんな強さを持つことができたのか。それを考えていくと、「天と向き合っている」姿が浮かんでくる。(全10話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(4)その刻苦勉励の姿
渡部昇一先生は、名著『知的生活の方法』をはじめ、知的生活でいかに自分を伸ばしていくか、どう向上していくべきかについて、数多くの本を遺した。それらの本は、いまでもわれわれに、人生への重要なヒントを語り続けているが、渡部昇一先生ご自身は、いかに刻苦勉励されていたのだろうか。家族の目に映ったその姿を聞いていく。さらに、渡部昇一先生は、いかに運命を切り拓いていったのかにも迫る。(全10話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(3)直観力の根源とは?
あるときは、エーゲ海を泳いで西洋文明と日本文明の違いを悟った渡部昇一先生。またあるときは、自慢の最新式のオフィスを見て、「これは上司は楽でいいですね。監視しやすいから」と喝破してみせた渡部昇一先生。さらに子どものころの玄一氏が「ソビエトって怖いんでしょ?」と聞いたら、「いや、あの国はそんなに遠い未来じゃないうちに潰れてなくなるよ」と答えたという。その類いまれなる「直観力」は、いかに生まれたのか。その謎に迫っていく。(全10話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(2)運命への愛と夢の実現
渡部昇一先生は、「運命を愛する」人間であった。だが同時に渡部昇一先生は、若い頃、大島淳一名義で翻訳していたジョセフ・マーフィーの『眠りながら成功する――自己暗示と潜在意識の活用』が唱えていた「イメージすることによって潜在意識に働きかけ、希望を現実化する」手法を、自分自身で実践していた。その1つが、恩師に憧れて胸に抱いた「書庫を持つ人間になる」という希望を、実際、思い続けて実現させたことである。そこには書庫を持っていた恩師への「愛」があったことも大きい。また思想的に深く影響を与えた体験に、エーゲ海で泳いだことがある。ここで「エーゲ海の悲しみ」を感じ、「明朗」という思想を体得することになったエピソードが語られる。(全10話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(1)「温かい家庭」という衝撃
渡部昇一先生の長男である渡部玄一氏(チェロ奏者)と、渡部昇一先生の著作を読み尽くしている著述家の執行草舟氏が、渡部昇一先生の思い出を語らいながら「教養」と「明朗なる人生」について考察を重ねていく珠玉の対談。渡部玄一氏が父の思い出をつづった書籍『明朗であれ』は、エッセイで重要な「上手に思い出す」ことができていて、非常に美しく温かみを感じると執行氏は言う。これに対して玄一氏は、亡父の底抜けな明るさの理由を考えたくて、「明朗である」という主題をつくり、思い出をまとめていったと語る。なお、この対談は、渡部昇一先生が膨大な蔵書を収めるために精魂込めて建築した書庫で行われた。(全10話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)