村井嘉浩

宮城県知事

プロフィール

生年月日:昭和35年8月20日
血液型:B型
趣味:茶道(茶名:宗浩)
座右の銘:「天命に従って人事を尽くす」
出身地:大阪府
著書:
「復興に命をかける」表紙 「復興に命をかける」(PHP研究所)
「それでも東北は負けない」表紙 「それでも東北は負けない」(ワニブックス)

<略歴>
昭和59年3月  防衛大学校(理工学専攻)卒業
昭和59年4月  陸上自衛隊幹部候補生学校入校
昭和59年9月  陸上自衛隊東北方面航空隊(ヘリコプターパイロット)
平成3年4月   自衛隊宮城地方連絡部募集課
平成4年4月   財団法人松下政経塾入塾
平成7年4月   宮城県議会議員(第一期)
平成11年4月  宮城県議会議員(第二期)
平成11年5月  宮城県議会保健福祉委員会副委員長
平成12年7月  宮城県議会循環型社会・環境対策特別委員会委員長
平成14年7月  宮城県議会産業経済委員会委員長
平成15年4月  宮城県議会議員(第三期)
平成16年6月  宮城県議会外郭団体等調査特別委員会委員長
平成17年11月 宮城県知事(第一期)
平成21年11月 宮城県知事(第二期)
平成25年11月 宮城県知事(第三期)

講義一覧


県民が自分の力を使い自分の足で立っていける県土をつくる

創造的復興 ~震災から3年、民間活力とリスク予想に基づく宮城の挑戦~

マグニチュード9.0の大地震と津波の直撃を受けた宮城県では、3年目の現在、県土の創造的復興に向けた抜本的なチャレンジが始動している。税金を使い旧態へと戻す復旧には何が足りないのか?村井知事が復興の現場から熱く語る。


スズキ自動車社長に教わった「中小企業のおやじ」の心構え

県知事として大切にしていること-「自分が前に出ていく」

東日本大震災で甚大な被害をこうむった宮城県は、村井知事のもと驚くべきスピードで復興計画を立て、着実にそれを実行に移している。「ピンチをチャンスへ」との決意のもと、宮城県を復興へと導く村井知事の信条とは? 


「全体のことを考えろ」という父の言葉を肝に銘じて

政治家の使命~目先にとらわれず50年、100年先のビジョンを描く~

 自衛官としての安定した生活を捨て、政治の道を志すことを決意した村井嘉浩氏が、今でも大切にしているのは、父からもらったある言葉だと語る。その言葉を支えに全力で県政に向かう村井氏が考える、政治家の使命とは?


小さな行政体を心がける―「経営の神様」の教え

常に全体の利益を考える~松下幸之助の発想にも通じる県政~

 松下政経塾に学んだ宮城県知事・村井嘉浩氏の県政は、松下幸之助の発想にも通じるところがある。時に県民に我慢をしてもらっても、結果的にはその支持を得ている村井氏の県政に対する確固たる信念とは? 宮城県全体の底上げに注力するその情熱に迫る。


有事における危機管理は自衛隊経験の賜物

人生に無駄はない~県議、自衛隊時代の経験が生きる知事の仕事~

村井嘉浩氏は、宮城県知事になるまでの自衛隊の8年間、県会議員としての10年間の経験は、一見遠回りに見えながら実は非常に貴重であり、有事にもこれらの経験が生きたと語る。村井氏だから語れる実践的危機管理のポイントとは?


宮城県をサービス産業からものづくりの県土へ

「富県共創」を掲げて~産業構造の転換に取り組む~

宮城県知事・村井嘉浩氏の実行力と長期的構想、そして縁を得て人を動かす力が三位一体となって、宮城県の復興計画は着実に進んでいる。宮城の30年先、50年先を視野に入れながら、産業構造転換を図る村井氏の政治的理念とは?