講義一覧
弥生人の実態~研究結果が明かす生活と文化(3)弥生時代の環境と気候
古代の気候を推測するために、研究者はさまざまな方法を駆使してきた。海水面の位置をもとにした「弥生の小海退」説をはじめ、花粉や炭素濃度などから行う分析法には難点もある。その難点を克服した方法によって見えてきた弥生時代の気候はどのようなものなのだろうか。今回は弥生人が生きた環境に焦点を当てて解説する。(全11話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
弥生人の実態~研究結果が明かす生活と文化(2)「4つの文化説」で考える弥生文化
縄文文化や弥生文化の区分は日本全体で一枚岩ではない。特に沖縄と北海道といった独自の文化を築いた地域はその区分には当てはまらず、また本州も地域ごとに異なる区分を持つ可能性がある。今回はこれまでの3つの文化説に対して新たに提唱されている「4つの文化説」からその詳細をひもとき、各地の出土品を見ながら史料のダイナミックな動きを解説していく(全11話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
弥生人の実態~研究結果が明かす生活と文化(1)弥生時代はいつ始まったのか
弥生時代の始まりが600年ほどさかのぼった――私たちがかつて教科書で習ってきた知識は日々の研究によって更新され、紀元前3世紀だった弥生時代の開始年代の定説が近年、測定法の洗練によって大幅に改められたのだ。その背景にはどのような論争があったのだろうか。今回は土器に付着した炭化物から見えてきた弥生時代の端緒をひも解く。(全11話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
弥生時代の歴史~研究最前線(1)炭素14年代測定法
ここ15年の弥生時代研究の大きな進展は、具体的な西暦年代を用いて時代区分を表現できるようになったことである。藤尾慎一郎氏のチームは、「炭素14年代測定法」と呼ばれる方法を用いた調査によって、弥生時代が従来考えられていたよりも500年早く始まったことを実証した。今回はまず、弥生時代が始まる時期をめぐって、研究者の間でどのような議論がなされてきたのかについて解説する。(全12話中第1話)
弥生時代の歴史~研究最前線(2)酸素同位体比年輪年代法
炭素14年代測定法を用いて、藤尾慎一郎氏のグループは弥生時代の開始年代が500年さかのぼることを発表したが、開始年代にはまだ議論がある。本講義では、新たに開発された「酸素同位体比年輪年代法」と呼ばれる方法について解説する。開始年代が確定しても、日本全国が一斉に弥生時代へと移行したわけではない。文化は徐々に広がっていくという点にも着目していく必要がある。(全12話中第2話)
弥生時代の歴史~研究最前線(3)~水田稲作の始まり~前編
日本における穀物は、朝鮮半島南部(韓国南部)からの影響を強く受けている。そこで、今回は日本の水田稲作を議論する前に、朝鮮半島における穀物の発展の様子を見ていく。出土した土器あるいは遺跡などから、農耕文化とそれに伴う社会制度の発展を考察できる。(全12話中第3話)
弥生時代の歴史~研究最前線(3)~水田稲作の始まり~後編
朝鮮半島南部から遅れて日本でも粟やキビを主食とする生活形態から、水田稲作への変化が生じつつあった。福岡県で見つかった日本最古の水田遺跡からは、縄文人の生活圏とは異なる場所から水田稲作が始まったこと、水田稲作のためにさまざまな工夫が施されていたことなどが分かる。(全12話中第4話)
弥生時代の歴史~研究最前線(4)~農耕社会の成立~前編
水田稲作が定着していく中で、日本にも農耕社会が根付いてきた。環壕集落の跡や副葬品のある墓など、縄文時代には見られなかった文化が徐々に見られるようになってくる。こうした変化は、身分制度や戦争、そして格差の世襲など、今なお残る社会問題が水田稲作の発生とともに出現したことを示唆している。(全12話中第5話)
弥生時代の歴史~研究最前線(4)~農耕社会の成立~後編
九州北部で始まった水田稲作は、すぐに日本全国に伝播していったわけではない。250年ほどたって、ようやく中国地方や九州南部へ広がり、その後、徐々に日本各地に広がっていった。ではどのような形で水田稲作文化が伝播していったのだろうか。近畿地方、中国地方、四国地方、中部地方の遺跡から得られた考古学的証拠をもとに詳しく説明する。(全12話中第6話)
弥生時代の歴史~研究最前線(5)~金属器の登場~前編
東北地方北部では、他の地方とは異なる形態を取っていたという。可能な限り縄文文化を継続しつつ、水田という技術だけ受け入れていたというのだ。また、朝鮮半島南部の文化も、ほとんど受け入れずに縄文文化を続けていたが、九州北部地方では積極的に受け入れていく。朝鮮半島からどのような文化が伝来したのか。なかでも金属器の事情について詳しく解説する。(全12話中第7話)
弥生時代の歴史~研究最前線(5)~金属器の登場~後編
青銅器は伝来した当初、朝鮮半島と同様のものを用いていたが、やがて弥生人たちは朝鮮半島からやってきた青銅器工人を受け入れながら、徐々に弥生独自の青銅器を創るようになります。また、鉄器は紀元前4世紀頃に中国東北部、もしくは朝鮮半島南部から伝来されたが、入手に関しては来るのを待っていたのではなく、むしろ自ら朝鮮半島南部に求めにいった可能性が高くなっています。ものづくり大国日本の第一歩ともいえる、弥生時代の青銅器と鉄器の文化に関して解説する。(全12話中第8話)
弥生時代の歴史~研究最前線(6)~外交の始まり~前編
弥生人は次第に日本の外に出て、朝鮮半島や中国の人々と交流を持つようになる。壱岐の「原の辻遺跡」は、そうした外交のための前進基地と考えられており、当時の活発な経済活動や文化交流の跡が伺える。こうした活動を指導していた弥生人の王は、九州北部で中国からもらった鏡などを副葬品として用い、自らの地位の高さを示していたのである。(全12話中第9話)
弥生時代の歴史~研究最前線(6)~外交の始まり~後編
「倭」という弥生人たちの国は当時、外国にどのように捉えられていたのか。「倭」の範囲は、北は新潟県、東は千葉県から埼玉県あたりにまで及んでいた。対して東北地方では縄文時代の文化がいまだに用いられており、水田稲作にもそれほど固執していない。「倭」という国に対して、国内の文化的差異に着目して解答を与える。(全12話中第10話)
弥生時代の歴史~研究最前線(7)~古墳時代への胎動~
弥生時代から古墳時代へと弥生社会はどのように変化していったのか。従来は鉄などの実用的な道具の入手が九州北部から近畿に移ったことで、近畿を中心とした巨大な政治的権力が成立し古墳時代が始まったとされてきた。しかし、考古学的資料の検討を行うと、鉄ではなく威信財や祭祀の分布が、古墳時代の開始に重要な役割を果たしていたことが明らかになってきた。前方後円墳は、倭国内の各地で行われていた風習を一つに合体し、新たな文化装置として創造された大事業の一環だったのだ。(全12話中第12話)
弥生時代の歴史~研究最前線(7)~博多湾岸諸国~
弥生時代後期の遺跡といえば佐賀県の吉野ヶ里遺跡が有名だが、奴国の中心地であった博多湾岸諸国のなかで福岡県の比恵・那珂遺跡群は吉野ヶ里遺跡とは異なり、より都市的な発展を遂げたのではないかと考えられている。ここではさまざまな考古学的資料が出土しており、その経済的な豊かさや手工業の発展度合から、弥生時代を代表する遺跡として知られている。今回は弥生時代の最も発展した集落街に住んだ人たちの生活をひもといていく。(全12話中第11話)