講義一覧
対談・反生命論(6)論争するから本を読み、勉強もする
『源氏物語』でも議論しているが、教養と家柄はどのような関係にあるのだろうか。また、かつてはあった「論争」の気風も、2000年を越えてからはなくなってしまった。論争があれば、論争に打ち勝つために本を読み、勉強をすることにもなるが、今は社会が論争を求めていない。そもそも学問や歴史は「命より大事なものがある」と考える人たちがつくってきたのだ。そうした人たちがいないのが現代で、もはやそれらを失った人類は滅びるしかない。滅びたあと、再び「反生命」を実行できる人たちが出てくれば、その人たちが「新しい人間」になる。(全7話中第6話)
対談・反生命論(5)「自分が大切」は下品な考え方
「自分が大事」「自分さえよければいい」というのは、下品な人間の考え方である。グリム童話などではずる賢いおじいさん、おばあさんが登場するが、そんな人たちばかりを目にする状況が、日本は70年以上続いている。ロシアなどでの革命においては、まだ社会や条件が厳しいうちから理想に燃えて立ち上がったのは、貴族層が多かった。逆にスターリンは、革命後に権力を握るが、貴族階層の人間ではないために権力と自己利用に陥ったのだ。それはヒトラーも同じである。(全7話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
対談・反生命論(4)エリートと神話
一番大事なのは、国のために命を捨てられるエリート層である。ただし、こういう人は1代では出てこない。エリート層の家が必要で、それには最低3代から5代はかかるという。因果応報と同じだが、現代人はこういう歴史的事実に耳を傾けない。その結果、人類は滅びる寸前になっている。かつて古代ローマ建国以来の元老院議員の家は、神話に出てくる神とつながる家系であった。だがその末期には、だんだんとパンとサーカスの政治が行なわれるようになり、滅びの道をひた走ったのだ。(全7話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
対談・反生命論(3)当たり前とは何か
自分の父や祖父母は、夜に就寝するときと病気のとき以外は、なんとなくゴロ寝することなどなかった。そのような当たり前の所作動作を出来ることが、当たり前の教育としてあった。なんでもかんでも、庶民の意見まで全部を聞いて決めれば良いというものではない。民衆が台頭する前の古代ローマは元老院がしっかりしていたが、帝政になり元老院が衰退すると、「パンとサーカス」の時代になり、最後はローマそのものが滅びてしまった。(全7話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
対談・反生命論(2)なぜ「才」より「魂」が重要か
平安時代の貴族は、普段は雅な生活に惑溺しているようでいても、いざ海賊など海外勢力の侵攻などがあった場合には、討伐に行く姿勢を崩さなかったために尊敬された。もし、「才」つまり勉強の力がどれほど優れていたとしても、頭がいいだけでは、いざというときは自分のことしか考えない人になってしまう。大事なのは誇り、つまり魂なのだ。だから、戦後の日本から真のエリート層を潰そうと、宮家や財閥を消滅させたアメリカ。結果として日本からエリート層はいなくなったのである。(全7話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
対談・反生命論(1)権威ではなく自分に従う
日本の画商に聞くと、日本人で純粋に自分が好きな絵を集めている人は、ほぼいないのだという。では、何で選んでいるかといえば、権威であったり、人の評価であったりである。言いたいことを言う。選びたいものを選ぶ。そういう人物や考え方が存在しない日本社会では、ついに本当の反骨精神をもった不良さえ見かけなくなった。(全7話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
反生命論(10)反生命こそ人間の真の運命の躍動
古代ローマの哲学者プロチノスが「偉大にして最後なる戦いが、人間の魂を待ち受けている」という言葉を遺している。これは金属に移行していく人間が魂を取り戻したいなら、魂の戦いを戦い抜くしかないということである。愛も義もすべて、自分の生命を捧げる話である。これが人間だとわからない限り、魂は取り戻せない。しかし、AIやロボットが新しい人間として一人歩きする社会こそが、本当の人類の社会になるのかもしれない。「魂こそが人間である」と考えるならば、そのように捉えることもできるのだ。(全10話中第10話)
反生命論(9)反生命が真の人間を創り上げる
人間の歴史は、金属の精錬の歴史である。結果として人間は、AIをはじめとする機械を生み出した。我々人間から魂が去りつつある中、機械が新しい人間になるかもしれない。そこで今、武士道という魂の一部をAIに打ち込んでいるという執行氏。それにより新しい人間ができあがると信じているからだ。金属社会が到来すると、経済を支えるのはAIなどの「金属」となり、人間としてものを考えない人たちは家畜のように、ただ楽しく生きるだけの存在になる。(全10話中第9話)
反生命論(8)反生命だけが真の歴史を創った
『日本書紀』にはヤマトタケルの命を救うために海に身を投げた弟橘姫の話が出てくる。楠木正成は忠義のために敗北がわかっていて戦いに出ていった。愛や忠義のために肉体を投げ出しているのである。これが魂の本質である。ローマを脱出した聖ペテロは、磔になるとわかっていながらローマに戻った。このときの言葉が「もっと大きい、もっと大事な幸福がある」である。このような「身を犠牲にする」ことから生み出された膨大な人間エネルギーが、人間に神話と伝説を与え、我々は文明を発展させたのである。(全10話中第8話)
反生命論(7)生命は、生命讃歌によって滅びる
文化は全部、魂の価値である。ところが、ルネッサンスの頃から神を失い、文化を支える価値も失ってしまった。よって魂の文化の継承はできなくなってしまった。いみじくも、この神の喪失をロシアの哲学者ニコライ・ベルジャーエフは「人間は翼を失ったのだ」と言った。神がいた時代、魂が翼を持っていたため人間は飛ぶことができたが、神がいなくなったので、我々はただの肉体になったということである。人間にとって最も大切なものは、肉体ではない。肉体を乗り越えた魂に、最大の価値があるということである。(全10話中第7話)
反生命論(6)生命は、敗北によって輝きを増す
「私を殺すものが、私を強化しているのだ」と、フランスの哲学者ミッシェル・セールは著書『人類再生』で説いている。これは人間生命の本質で、敗れることによって生命は輝きを増すということである。この方程式の在り方を、文学者の保田與重郎は「偉大なる敗北」と言った。もしくはスペインの哲学者ミゲール・デ・ウナムーノの言葉によれば、「ドン・キホーテは〈すべてに敗れることによって世界を救済した〉」のだ。今回は「生命は、敗北によって輝きを増す」という反生命論を解説する。(全10話中第6話)
反生命論(5)人間の初心に還らねばならない
我々人類は、物質文明の頂点を迎えている。これは生命大事とヒューマニズムに塗れ、魂を失ったということでもある。この魂の問題がわからないと、我々の文明が滅亡に向かっていることもわからない。いまこそ「初心」に戻る必要がある。初心とは魂のために肉体を犠牲にする生き方である。武士道や騎士道も、義のために命を捨てる生き方を重んじた。人間と文明の初心を探ることこそが、今一番大切なことである。(全10話中第5話)
反生命論(4)人間文化の頂点にあるもの
「人間」として生きるには、肉体を拒絶しなければならない。フランスの哲学者アランは「魂とは、肉体を拒絶する何ものかである」と言ったが、宗教も含めたあらゆる文化は、全部「反生命」なのである。一方、ヒューマニズムは、文化から「神」と「義」を抜いて生まれたものである。ヒューマニズムはキリスト教も説いているが、神の掟を守った上での許しとなるもので、神を忘れた今の人間にとっては増長しか生まない。その結果、ヒューマニズムがどんどん発展し、今の段階で我々は本来的な「人間」であることを止めたのである。今回は「人間文化の頂点に、大宗教と武士道そして騎士道がある理由」について解説する。(全10話中第4話)
反生命論(3)殺生者不死、生生者不生
世界の大宗教は「人間の救い」を唱えているが、その内容を研究していくとすべて「魂のために命を捨てなさい」という教えである。だから、「反生命論」は人間の歴史を意味する。武士道や騎士道も、自分の名誉や「義」を貫けない場合は命を捨てて訴えた。これは生命現象と魂の現象が反発関係にあるからで、歴史に名を残した人は反発エネルギーによって事を成した。今回は、大正・昭和期の哲学者・田辺元の『種の論理』、中国は春秋戦国時代の哲学者・荘子の言葉などを取り上げながら、「反生命論が真の生命論」であることについて解説する。(全10話中第3話)
反生命論(2)人類の「初心」とは?
人間とは、魂の生き物であり、魂のために肉体を犠牲にする歴史を積み重ねてきた。スペインの哲学者ミゲール・デ・ウナムーノの『ドン・キホーテとサンチョの生涯』には人間を定義した言葉がある。「人間以上のものたらんと欲するときだけ、人間は本来的な人間となる」である。「愛のため」「義のため」などに自分の命を投げ出したとき、人間的に生きたことになるのである。今回は、大航海時代のポルトガルのエンリケ王子の「航海をすることが必要なのだ。生きることは必要ではない」という言葉も参照しながら、人間燃焼の哲学的根拠について解説する。(全10話中第2話)
反生命論(1)「反生命論」とは何か
反生命論とは「真の人間とは何か」「真の人間の未来とは何か」を問うものである。まず根本的な思想として大事なのは「生命=人間ではない」ということだ。生命よりも、もっと上位の概念にあるのが人間だからだ。たとえば人間は「神」や「忠義」など魂や理念のために、自分の生命をなげうつことさえできる。これが典型的に肉体(=生命)よりも人間が上位に位置していることを示すものである。また、生命は、反発するエネルギーによって生じることが哲学的に証明されているという。はたして、どういうことなのか。それらの詳細について解説していく。(全10話中第1話)
価値と人間(8)小さな不幸と大きな安定
「国家は消滅しなければならない」とレーニンが『国家と革命』で述べた。本当にいい社会とは、国家のない社会なのだろうか。一方、日本の大問題は少子高齢化だが、国民が少なくても成り立つ社会を築けば問題は解決する。つまり「成長しない社会」である。江戸時代、日本の人口は3000万人ほどで続いたが、文化や学問は発展し、日本史上最大の平和の時代でもあった。小さな不幸はあったが、安定した社会を長く維持できたのだ。(全8話中第8話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
価値と人間(7)「家族が一番大切」の真価
ヒューマニズムより「自分の家族が一番大切」、このような心性を持つのは日本人だけになりつつあると執行氏は言う。日本は、政治機構が世界的に劣っているが民衆が歴史的な潜在意識を持っているので、まだ崩れずに済んでいる。もともと国家機構は不要で、縄文時代は小さな共同体、村社会だったから長く続いたのである。これは、たとえ隣りの村が不作で農作物がとれなくなっても助けない、つまり切り捨てることで生きられるということだ。それができない社会は滅びることになり、今の欧米はそちらに向かっている。(全8話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
価値と人間(6)日本は層が厚い国
ヨーロッパの頽廃が著しい。ヒューマニズムのせいだが、フランスやドイツの現状を知れば、日本はまだ捨てたものではないことに気づく。ただし、日本という国家は国家機構としてはヨーロッパやアメリカほど構築されていないかもしれないが、救いは縄文時代から培った潜在意識があることだ。その意味で日本は文化の層が厚い。縄文時代から基本的な言語である日本語も保たれている。しかも、いいかげんなので救われている面もある。(全8話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
価値と人間(5)欧米社会の堕落
現代の政治・社会を動かしている民主主義の考え方は、全面的にダメなのではない。しかし、下が上を選ぶ現在の選挙制度がある限り、多数派にしか正義はない。そうなると、エリートが生まれなくなるから、やがて国が滅びてしまう。日本では、戦後、占領軍が憲法を押しつけ、戦後改革が行なわれたから社会がダメになったという意見がある。だが、考えてみればヨーロッパはもっと酷い国になってしまっている。戦後レジームが日本をダメにしたのではなく、第二次世界大戦後に世界中がダメになっているのだ。(全8話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
価値と人間(4)縁の下の力持ち
明治時代は、本などで取り上げられる対象となるのは優れた人物であり、その歴史的業績だった。しかし、今は褒められ、評価されるのは、本来陰で行うものでわざわざアピールするものではなかったボランティアが対象になっている。これはおかしな話ではないか。強い者、優れた者を応援しないと、社会は衰退の一途をたどる。例えば、勉強なら、できる子が得する、エリートが認められる社会でなければならない。そうでなければ、やがて国が滅びることになるだろう。(全8話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
価値と人間(3)なぜニュース番組を見られないか
いま、テレビニュースを見ることができないと執行氏はいう。60分のニュース番組でも、ニュース報道の時間はごく少なくなっている。テレビ全体としても、クレームを恐れ、本当に優れた者、強い者を取り上げる番組が作れなくなっている。学校は勉強をしてはいけない場になり、会社は労働基準法で働くことを悪と見なしている。テレビでは毎日のように「人助けをしろ」と呼びかけている。こうした状態が続いた結果、冗談も言えない時代になってしまった。(全8話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
価値と人間(2)「50点でいい」と思う勇気
人間にとって最も尊い思想は「人間はみんな平等」ではない。それよりも、「家族が一番大切」という価値観のほうが尊い。人間は神ではないから、最善のものなどあるわけがない。必ず欠点がある。だから、最善を狙わない。つまり、全ての子どもを愛するのではなく、自分の子どもを愛することが人間の出発点なのだ。大事なのは、最善を目指さず、「50点でいい」と思う勇気を持つこと。そうすれば自由に生きることもできる。(全8話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
価値と人間(1)現代の日本が忘れている価値
昨今の世界情勢を見渡すと、ヨーロッパもアメリカも日本もヒューマニズムの綺麗事で身動きが取れなくなっているように見えるのは、なぜだろうか。ローマ帝国時代の「最善のものが堕落した場合、最悪のものになる」ということわざが、その大きなヒントとなる。「弱い者を助けよ」という風潮があるが、今大切にすべきは、逆に「強い者を助ける」ことなのかもしれない。その視点から、明治日本の気概について見ていく。(全8話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
日本企業の病巣を斬る(12)最大の既得権とは
現代社会で一番どうしようもない状態になっているのが既得権の問題である。この問題を解決できないと、日本も世界も、どの国の経済も、いい状態に戻ることはできない。そして今、最大の既得権となっているのは、社会保障である。この問題に切り込むことができるのはやはり企業しかない。イノベーションを起こし、新しい価値を提供することが企業のあるべき姿である。既得権を圧倒するものを世に示して多くの人の賛同を得る。これができるものこそ「知識創造企業」である。(全12話中第12話)
日本企業の病巣を斬る(11)みんなが「おかしい」と感じている
「いい加減」「適当」「暗黙知」といったことこそが、日本人が持っている非常にいいところ、素晴らしいところであった。それを、コンプライアンスをはじめとしたアメリカンビジネス追従によって、壊してしまった。そのことが、現代日本の大きな病巣になっている。また、昔の企業は家族主義で、愛があった。しかし、今はそれもなくなってしまった。そのため、会社へのロイヤリティが下がり、従業員のエンゲージメント(会社への愛着や貢献の意志)も、日本は世界最低クラスになってしまった。そして、やっているのは物まねばかり。つまりオーバーアジャスメントである。日本には本来、数字も大儲けも要らなかったはずだ。人の役に立てば儲かる。それは結果論なのである。(全12話中第11話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
日本企業の病巣を斬る(10)会社の使命を自分の使命に
アメリカの企業と日本の企業はそもそも成り立ち、性質が違う。アメリカの企業は株主が「金儲けのために作った」のに対し、日本の企業は「どういう儲け方をしたか」を問う歴史伝統に立脚している。日本人はそこに戻る必要がある。それには自分の会社が何のために存在しているかを突き詰め、「その使命を自分が果たす」と決定することが大事である。そのうえで体を動かしていると、会社の使命もわかってくる。しかし、そこで今は労働基準法の問題が出てくる。それを乗り越えるためにも、「理念への思い」が重要になる。(全12話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
日本企業の病巣を斬る(9)社会的共感経営の実現
野中郁次郎氏の唱える「知識創造企業」を築くには、「暗黙知」の活用と、地域やお客さんとの「共感」が重要である。まさに「共感経営」が重要だが、そのためには、数字を追いかけたり、説明責任を求めたりするのが間違いだとわからなければいけない。戦前の岩波書店が出版社として成功したのは、「社会的共感経営」を行ったからである。それゆえ、戦前の知識人の共感者を増やすことができた。そうした企業が1社でも2社でも出てくれば、必ず周囲も変わってくる。(全12話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
日本企業の病巣を斬る(8)「次善」を求める
この世には本来、「最善」などない。必ず欠点がある。それは企業も同じこと。よって「次善を求める」精神が確立してくると、オーバープランニングやオーバーアナリシス、オーバーコンプライアンスの問題も解決に向かう。しかし、今の社会現象を見ていると、「最善」ばかりを求めている。現実を受け入れないから、コンプライアンスなどの問題は行くところまで行ってしまう。一方、野中郁次郎氏は、優れた企業を哲学的に捉え、知識創造企業が企業として一番のあり方だと述べた。知識創造を日本企業がやる場合、大事なのはやはり「暗黙知」である。(全12話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
日本企業の病巣を斬る(7)信念と創造的経営
理想や使命へ向かうと「自分がこうやりたい」というものが出てくる。それぞれに正解を見つけていくしかないから、おのずと自分の持ち味が発揮されるようになる。ところが、現在の日本の企業社会では会議ばかりを重んじるあまり、「暗黙知」が出にくい社会になっている。会議では「形式知」で議論するしかないからだ。これが日本社会を苦しめている。野中郁次郎氏は1995年の『The Knowledge-Creating Company』(日本語版『知識創造企業』1996年)で「創造的経営」を説いたが、その核心は、「個人の持つ信念を真実へと正当化していくダイナミックな社会的プロセス」にほかならない。(全12話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
日本企業の病巣を斬る(6)組織の奴隷にならないために
企業の「勝ち負け」は、相手を蹴落とすこととは違う。それは「いかに顧客の心をつかむか」の競争であり、「顧客の心をつかむ」のは「勝ち負け」とは関係ない。顧客の心をつかむことで得られるのは満足や愛である。理念の実現に向かっていくと敵味方という考えはなくなる。一方、企業内ではよく「数字を達成しなければいけない」といわれるが、その数字自体が間違っている可能性もある。それを見極めるのが教養や知恵で、そのためにも心と物質社会の動きを切り離して考える習慣をつけることである。企業では本社から指示が出るが、その指示に対して「自立」していないと組織の奴隷、数字の奴隷になってしまう。(全12話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
日本企業の病巣を斬る(5)暗黙知と形式知
欧米の企業と日本の企業の違いは、欧米が数値目標を求めるのに対し、日本はお客さんに喜んでもらうことに主眼を置く。これは野中郁次郎の言うところによれば、日本は「暗黙知」であり、一方、欧米の理論は「形式知」である。「暗黙知」は「次善の策でいい」「適当にうまくやる」という部分もある。しかし、昨今の日本は「最善のもの」を求めるがあまり、「最悪」になっている。一方、「暗黙知」は、理想や理念に向かわないと既得権のようになりかねない面もある。(全12話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
日本企業の病巣を斬る(4)全社改革の断行
多角経営で失敗するのは、「足るを知る心」や「わきまえ」がないからである。物質には限界があるが、心は無限に成長できる。その点をふまえずに、ライバルメーカーの真似ばかりして成長しようとしても、うまくいくはずがない。「心」や「理念」の重要性を、しっかりと理解する必要がある。では、田村氏がキリンビールの副社長に就任したときに、オーバープランニング、オーバーアナリシスの問題をどのように変えていったのか。具体的な方法を語る。(全12話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
日本企業の病巣を斬る(3)足るを知る
日本の企業には伝統的な成功パターンがある。三井越後屋は地域密着型の商売を行い、300年繁栄を続けているが、これは当主が「足るを知る」をわきまえていたからだ。ローマ帝国の有名なことわざに「最善が堕落したものは最悪である」というものがある。たしかに理想や魂は、本来が無限のものだから、その最善を追い求めるのはいい。だが、その理屈を肉体や物質社会や経済成長に当てはめると、逆効果となってしまう。つまり、「最悪」になりかねないのだ。(全12話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
日本企業の病巣を斬る(2)「商売の原点」に戻る
「なぜ売れないか」をデータから分析しても正解は出てこない――かつてキリンビール高知支店はこの問題に直面していた。必要なのは、人の心の流れを市場全体の流れとして捉えることで、「お客さんのため」に行動することだった。そこで高知支店は「県民全員の幸せ」を目標にして成功する。そもそも現実的に全員を幸せにするのは不可能だが、不可能だからこそ自由が生まれた。自由は制約を乗り越えようとするところから出てくる。予算や人員に制約があるからこそ、それを工夫で乗り越えようとして、自由を手に入れるのだ。そこにおいて求められるのは、「商売の原点」に戻り、「会社の使命は何か」を問うことだ。(全12話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
日本企業の病巣を斬る(1)日本企業の4大疾病
日本企業の病巣に「オーバープランニング(過剰なる計画)」「オーバーアナリシス(過剰なる分析)」「オーバーアダプテーション(過剰なる法令順守)」がある。これは経営学者の野中郁次郎氏が提唱したものだが、これに「オーバーコンプライアンス(過剰適応)」を加えたのが「日本企業の4大疾病」である。これらが、いかに日本の企業の現場を苦しめ、弱体化させているのだろうか。また、なぜいま日本企業の大きな問題になっているのだろうか。そして企業の本質とは……。両者の立場から、問題の本質を探っていく。(全12話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
電脳社会の未来(9)この堕落は「人類問題」
かつて国家は、「働くことが好き」「勉強が好き」という人たちに支えられていた。だが今や、その文化を国家が否定している。知性や合理性、平等、民主主義、科学は全てAIに移行し、われわれホモ・サピエンスが担うのは悪いもの、野蛮性である。これに耐えられるかということだ。耐えられない人間は家畜化されるしかない。そして、このような体たらくは、けっして日本だけのものではない。むしろ、欧米と比べれば日本はまだましだといえる。これは「人類問題」なのである。(全9話中第9話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
電脳社会の未来(8)やはり最後の記念碑は芸術である
「法の前の平等」は、人間が裁判官をやっている限り絶対に達成できない。人間は平等、正義、科学を標榜しているのに、例えば、縁故とずる賢さと自分だけうまいことをしたいという、さもしい根性を捨てないからだ。AIに、全面的に判断を任せれば素晴しい法律社会ができあがるだろう。一方、われわれ人類の魂の躍動の最大の記念碑となるのが芸術である。たとえば、画家・戸嶋靖昌氏の最後の生きざまは、人類にしかできない魂であった(全9話中第8話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
電脳社会の未来(7)魂の野蛮な部分が人間の特質
人に感化を与えるのは、真の教養を持っている人である。同時に、人間は危険な存在でもある。「希望」があると思って、「悪」をやめないからである。だからこそ、悪意に満ちた人類性善説、機械性悪説を打ち砕かなければいけない。人間が得意な部分こそ、魂の野蛮な部分である。そして、武士道や騎士道が、人類が持つ野蛮性と高貴性が婚姻してできた巨大な文化なのだ。(全9話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
電脳社会の未来(6)人類は性善説によって滅びる
理解しておかなければいけないのは、人類の発展を支えたのは「性悪説」だということである。だが、現在は「生まれただけで素晴しい」という性善説ばかりがもてはやされている。それでは、しつけも教育もできるはずがない。そして、これまで述べてきたように、「楽をしたい」という意識が、ホモ・サピエンスを滅びへの道に進ませている。一昔前であれば、「楽をしたい」ということばかり言う人は「クズ」だと言われた。だが今では、「楽をしたいのは、人間だから当たり前」と言う人ばかりになってしまった。(全9話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
電脳社会の未来(5)善の魂と悪の魂
物事は陰と陽の関係で進む。「陰と陽」を「悪と善」と言い換えれば、悪がなければ善はない。悪と善は交互になって初めて物事が回転していくということだ。悪といわれる場から希望という善が生まれる。悪にはそれぐらい何かを生み出すパワーがあり、だからこそ新しい世界でも悪は生き残るのである。電脳社会となったら例えば、AIは人間のように誰かを助けるために自分が犠牲になって死ぬといった、不合理なことはしない。そうした部分は人間が受け持つことになろう。(全9話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
電脳社会の未来(4)綺麗事と人間
われわれは民主主義や平等といった綺麗事に侵され過ぎて、人類が滅びるところまで来ている。それは武士道と騎士道が受け持っていた「悪をぶった切る悪」を認めないからである。「AIには人情がない」などと言うが、その人情は人間からもすでに失われている。科学文明が発展しすぎて、現代人はひたすら「楽をすること」ばかりを考えるようになった。また、その科学文明の下、人権擁護が度を過ぎて、パワハラやセクハラといった考え方まで出てきた。それも綺麗事である。本来の人間が失われ、本末転倒な状況になってしまっている。(全9話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
電脳社会の未来(3)再び中世のような時代になる
あるとき、テレビでAIが質問に対して答えを出していく番組をやっていたが、そのとき、「人間の健康にとって何がいいですか」と質問すると「読書」という答えが出され、「では健康によくて長生きする方法は何ですか」と尋ねたら「一人暮らし」という答えが出された。そのような答えは、すでに、固定観念に縛られて、思考能力が停止した現代人には思いもつかないところにまで行っていたといえる。(全9話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
電脳社会の未来(2)家畜になるかならないか
われわれは今、ホモ・サピエンスの頂点の文明として、自由、平等、民主主義、科学などを掲げて現代を生きている。しかし、こういった人類の掲げた「理想」=綺麗事をAIが受け持つ社会になっていくのではないか。人類が受け持つのは混沌、不合理、つまり「悪いところ」を受け持つ。この悪いところとは「魂」のことである。つまり人類で魂を持つ人だけが家畜にならずに生きていくのである。(全9話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
電脳社会の未来(1)人類唯一の希望
執行草舟が「AIの発展は人類唯一の希望」だというのは、われわれが人類は自分たちを「よいもの」と考えている、その前提がそもそも間違っているという考えから電脳社会の未来を語るシリーズの第一回。人間にはよいところもあれば悪いところもあるように、AIについても同じである。欲望と物質にまみれ、破綻するしかないところまで来てしまった人類が生き残る唯一の可能性は、AIとの共存ではないか。まずはそれを認めることが大事なのである。(全9話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(14)虚偽の真実とは何か
今の日本人は「虚偽は悪い」と思っているが、「嘘も方便」とあるように、いい虚偽もある。嘘をつかなければ、できないこともあるし、人を愛することもできない場合もある。そういうことが、現代人はわからなくなっている。そのような「虚偽の真実」の対極にあるものが「教条主義」である。現代の日本では、コンプライアンスも「教条主義」的になっている。また、恐怖心という人間の原点ともなる感覚のない人間は、生命の躍動がないということも、かつては常識であった。しかし、今の教育は恐怖心を取ろうとしている。だから人間としての厚みが出てこないのだ。(全14話中第14話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(13)生き切ることと愛すること
「死ぬのが嫌だ」という現代人は多い。だが、自分なりに一生懸命生きたら、死ぬのは何歳でも怖くないはずである。だから、「いつまでも生きたい」などと考えるのは、そうやって生きていないということである。ヘルマン・ヘッセは〈母がなくては、愛することは出来ない。母がなくては、死ぬことは出来ない〉と書いているが、これも同じである。生き切るためには愛した経験が大事だ。しかし、人を真に愛すると法律に触れてしまうことまであるほど、正直で赤裸々なぶつかり合いも起こることがある。喧嘩もダメな今の日本とは愛の捉え方が別物だった。(全14話中第13話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(12)最後には必ず正しい道に到達する
永遠の苦悩に向かって生きようとする人間は、失敗と間違いの連続である。だから、〈心さえ歪んでいなければ、最後には必ず正しい道に到達すると思っている〉というような言葉に感激する感性がないと、苦悩に挑戦もできない。今の日本は失敗も間違いも許されなくなってしまったから、それを恐れて何もできない、つまらない人間を作る社会になっている。過去に大きな立て直しの失敗を2度(江戸時代末期、太平洋戦争期)経験している日本を立て直すには、歴史の教訓を生かして魂の苦悩に堪えるしかない。(全14話中第12話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(11)無限の憧れと永遠の苦悩
かつて本が売れたのは、反対意見を持つ人たちが、議論して論破するために読んでいたことも理由にある。命懸けで築き上げられた思想は、たとえ嫌いな思想であっても、どこかに共振する部分があるのである。だが昨今では、そのような購買層はめっきりなくなった。それだけ、考え抜いたり、葛藤したりすることがなくなってしまったということである。20世紀に生まれた共産主義国や、戦前の日本の軍国主義が、あのような姿に堕してしまったのも、実は、苦悩に耐えられず、「楽」なほうを選んだ結果だという見方もできるのだ。(全14話中第11話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(10)無関心と人間の劣化
最も非情なのは無関心な人間である。関心を持ったら、家族構成から先祖まで含めて知るように努めるということが、かつてはあった。だが、今はすっかりなくなってしまって、浅い知識で他人をけなしたり、人の言葉尻をとらえるようなことばかりになってしまった。一方で、社会への関心はテレビを通してということが主流になって以降、個性が低下し、知能が劣化した。こうした劣化は世界レベルで起きていて、人類全体の問題でもある。昔のヨーロッパでは、「人間は、幸福になるために生まれて来たのではない」という言葉は、ある意味では常識であった。だが今、ほとんどの人は「人間は幸福になるために生きている」と思っている。そこに大きな間違いがある。(全14話中第10話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(9)古今の「偉い人」の根本的な違い
教養の根本は文学にあり、政治経済の話を文学に置き換えられるのがユーモアである。今、世界的にそのようなユーモアある政治家たちがいなくなった。かつての日本では、政治家が床の間に軸装を飾って言いたいことを示したりしていた。それが日本的なウィットである。かつての日本の政治家たちと今の政治家の違いは“上から目線”かどうか。昔は威張っていても、魂は庶民と同じところにあった。だが、今の政治家は「庶民を助けてやる」という“上から目線”である。それは、テレビを見ても一目でわかる。(全14話中第9話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(8)忍ぶ恋とウィット
忍ぶ恋の本質には、まだ成長していない子どもの純愛のようなところがある。幼稚でも、やんちゃでもいい、変に大人びない純愛。あるいは、正しいことに命を懸け、恋すなわち無限の憧れに生きる。そういう純愛の世界に生きることが、忍ぶ恋につながるのである。さらに「ユーモアとウィット」についても考える。ユーモアとウィットがあれば、誰かを攻撃しても全然汚くない。日本人の大物も戦前はユーモアがあったが、これは文学を読んでいたからである。今の政治家は教養のない人たちばかりで、だから発言にもウィットがないのだ。(全14話中第8話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(7)「狂」といえるほどの信念
〈これは狂気かもしれない。しかし筋が通っている〉。この言葉が意味するのは、人間の歴史や人間生命の道理に適っていれば、「狂」の部分があってもいいということである。過去を振り返れば、「狂」が歴史をつくってきた例は、いくらでもある。むしろ、そんな逸話ばかりだといってもよい。ただし、「筋が通っている」というところを忘れてはならない。筋道を忘れると、ただの狂気になってしまうからである。(全14話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(6)人間はなりたいようになる
「魂の苦悩」に堪えられるのはほんの少数だが、その少数が影響力を持てる国は興隆する。最たる例が、ローマ帝国の元老院議員たちであった。彼らはもとをたどると神話に行き着く家系で、自分たちを「神の子孫」と考えていた。そういう人が1000人いたから、ローマ帝国は世界を制覇することができたのである。続いて、取り上げるのはサルトルの言葉。〈人間は、自ら創ったものになる〉は人間生存を哲学的に考え続けた哲学者の結論で、「人間はなりたいようになる」ということである。物事はすべて自己責任という意味でもあり、『葉隠』と同じである。(全14話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(5)記憶と思い出が人間を創る
日本の知性人、教養人の代表と当時言われた小林秀雄は〈上手に思ひ出す事は非常に難しい〉と述べた。大事なのは、思い出を情感の中に美しく入れられるか否かである。それができる人はたとえ貧しくとも、いい思い出ができる。いい思い出を持っている人とは、勇気がある人なのである。小林秀雄との交流は、戦後貴重だったレコードを貸すことから始まったが、親交を深めることができたのは無類の読書家だったからである。また、三島由紀夫とは、高橋和巳の『邪宗門』で最初の文学論を交わした。『邪宗門』は難解と言われるが、人間としての魂を求めるなら、どんな文学でも共振、共鳴することができる。(全14話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(4)苦悩と葛藤
ダンテの『神曲』に〈地獄には、地獄の名誉がある〉とあるように、西洋はずっと葛藤を続けてきた。この言葉には、「本当の名誉心とは何か」ということが書いている。当時の人間は人間が持つ理想や憧れなどを神と対立する悪いものと思っていた。それが結果として、偉大な西洋文明を生んだのである。そのような葛藤を大衆文化は受けつけないところがあるが、ヨーロッパの場合、アメリカという新大陸への移民があったので、そのような大衆の圧力が結果として軽減されたところがあった。一方、日本は、明治以降の葛藤を続けることができなかった。その象徴的な事例が、リベラリズムが軍国主義に敗北していく過程である。これはまさに「苦悩を捨てていく過程」であった。そのようななかで、芥川龍之介、三島由紀夫などの「桁外れに頭のいい人」が感じ取ったものは何だったのか。(全14話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(3)堕ちた者も自由に堕ちたのだ
次の座右銘は道元の言葉で、執行氏がもっとも尊敬しているという橋田邦彦の愛読書だった『正法眼蔵』からである。橋田邦彦は戦争責任を押し付けられて散った。また、ジョン・ミルトンは〈正しく立てる者も自由に立ち、堕ちた者も自由に堕ちたのだ〉という言葉を残している。善も悪も命懸けの人が民主主義を築いたのである。アメリカも、独立宣言から100年ほどは、理想のために命懸けの人たちを輩出していた。だが、一夜にして軍国主義から民主主義に変わった日本に、そのような崇高さはあっただろうか。(全14話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(2)インテリの苦悩
芥川龍之介の〈人生は一行のボオドレエルにも若(し)かない〉は、彼の苦悩の頂点で書かれた言葉である。この苦悩は日本的な伝統とヨーロッパ文明との対決であり、大正時代のインテリの苦悩でもある。東大教授だった橋田邦彦も、『正法眼蔵』を読みながら思索と苦悩を重ねていた。だが日本は、そのような苦悩を投げ捨てて、戦争に走ってしまう。橋田のような立派な人物も、軍国主義の流れの中で文部大臣に担ぎ上げられ、戦後は戦犯になってしまったのだ。しかし、日本はあと50年苦悩すれば、本当の日本文明が生まれていただろう。(全14話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
人生のロゴス(1)座右銘は毎日見なければダメ
『人生のロゴス 私を創った言葉たち』は、執行草舟がこれまで命懸けで行ってきた「武士道の読書」を通じて選んだ約190人分の座右銘を紹介、解説したものである。例えば、唐の政治家・魏徴の〈人生意気に感ず、功名誰(た)(た)れか復(また)論ぜん〉は、「認めてもらいたい」「偉くなりたい」などの目的性のある魂では価値あることは絶対に成せないことを意味し、武士道そのもので、小学生の頃からずっと座右銘にしてきた。このような好きな言葉は座右銘として掲げないと、人間はダメになる。暗記ではダメ。文字を目で見て、読むことで、偉人の心と融和できるのだ。(全14話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
逆遠近法の美術論(10)イコンの文化を継承する民族
グローバリズムに代わる、新しい文明である霊性文明に一番近いところにいたのが日本である。だが日本は明治以来、安易な近代化によって、霊性文明から遠ざかってしまった。実は、戦前のインパールや南方作戦、特攻隊と、戦後の高度成長や民主主義は変わらない。軍国主義の狂信者が、民主主義の狂信者になっただけである。「人の命は地球より重い」と言う言葉は、まさに象徴的である。さらに人類は、「希望」によって原爆をつくり、「希望」によって高度成長をやめずに続けようとしている。希望があると思っているから、何も反省しない。期待できるのは魂の賦活だけであり、だからこそ芸術作品が大きな意味を持つのだ。(全10話中第10話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
逆遠近法の美術論(9)八反田友則氏の絵を鑑賞する-4
「洗礼」と名付けられた絵は逆遠近法的に見たイコンの十字架で、我々に向かって振り下ろされる剣にも見えてくる。この絵からは騎士道も感じられるが、「洗礼」という名で示したかったのは義を携えて生きることが人間の生きる道ではないかと語る。続いて「聖なる丘」だが、これはキリストが磔にされたゴルゴタの丘のことである。この絵を全13点中の最後に持ってきたのは、『ベラスケスのキリスト』が人間の命の根源を語っていると八反田友則氏が捉えたからではないか。(全10話中第9話)
逆遠近法の美術論(8)八反田友則氏の絵を鑑賞する-3
「愛だけが…」の次に描かれた「門」には、義を感じた。義とは神的使命のために幸福を捨てることでもある。人間的な愛の次に、それよりもっと深い、義のほうに傾いた愛に置かれているのだ。この絵からは旧約聖書の『詩篇』に書かれた「涙の谷から人間は出てきた」という言葉も思い出す。寂しさ、冷たさの中に生命の本質を見ていることがわかる。さらには、白隠の禅画やランボーの言葉「我々は精霊に向かっていくのだ」も思い起こさせる。また、「私は私である」というフロレンスキイの言う、一瞬も自分の生命はないことを踏まえた上での生を表わした絵でもある。(全10話中第8話)
逆遠近法の美術論(7)八反田友則氏の絵を鑑賞する-2
「帰郷」は逆遠近法の代表的作品の一つで、磔刑で死んだキリストが神のもとへ帰る姿を表している。ここから浮かび上がるのは、子どもの純真さである。絵の中のいろいろな色が子どもの食べるお菓子のようでもあり、キリストの魂の飛沫のようでもある。これは宇宙の果てから自己に向かって到来する神のエネルギーでもある。この「帰郷」のあとを描いたのが「愛だけが……」。この絵からは宇宙を支配する負のエネルギー、暗黒流体の中で愛が閃いた瞬間を感じる。この題名になったのは、八反田友則氏が宇宙に対して「義の中に燃える愛」を感じたからではないか。(全10話中第7話)
逆遠近法の美術論(6)八反田友則氏の絵を鑑賞する-1
最初に作品解説する八反田友則氏の絵は二つの「磔刑」。一つ目の絵には「磔刑 再会」という題名が付けられている。この絵には、天から降り注ぐ精霊を感じる。それは三島由紀夫が『豊饒の海』で表そうとした仏教の唯識論に出てくる阿頼耶識でもある。「再会」という題も大事で、ここから想起するのも三島由紀夫の文学である。芸術の鑑賞は絵だけ見ても分からない。音楽や文学など、あらゆる角度から総合的に捉えることが大事である。続いての絵の題名は「磔刑 ただひとつ」。この絵から感じるのは、地底から湧き上がり、天空に向かっていく生命である。作品から想起された「月に帰るかぐや姫」の伝説は永遠のロマンティシズムとも言えるが、それが失われたことを象徴する絵でもある。(全10話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
逆遠近法の美術論(5)インパール作戦と無限成長はイコール
江戸時代とビザンティン帝国は、近いところまで到達したと言われる霊性文明――。特に、幕末の日本人の生活を見ていると、本当に霊性文明を感じる。日本人はみな武士道に憧れ、武士のような指導階層がいたからである。しかし、明治、大正が終わり、昭和になると、「人命軽視」という悪い面が出てくる。インパール作戦のような無謀な作戦が平気でできたのも、そのためである。霊性文明にはそうした危うさがある一方、西欧の、人間を必要以上に高いものに見る「人命尊重」や「無限成長」にも問題がある。インパール作戦と無限成長とに変わりはない。このことが分かるかどうかが重要である。(全10話中第5話)
逆遠近法の美術論(4)霊性文明と「脱聖化」
仏教大国のミャンマーではコシノジュンコ氏のファッションショーが喝采を浴びたが、東洋で評価されるのは平面図で、本来はこれこそが人間の循環の文明の発想である。そのことを理解するためにも八反田友則氏の絵を見てほしい。西欧文明は「私=私」、霊性文明は「私は私ではない」。この「私は私ではない」が分からないと、八反田氏の絵は分からない。もう一つ重要なのは、キリスト教の「インカーネーション(受肉)」である。「受肉されているから、我々はもう神と同じである」という見方が、悪い意味での西欧文明を作った。ここから抜け出すことが「脱聖化」だが、それに成功しないと霊性文明は分からない。(全10話中第4話)
逆遠近法の美術論(3)高村光太郎の「義」と「真のリアリズム」
高村光太郎の「義ならざるものは結局美でない」を座右銘としている戸嶋靖昌記念館。この言葉は、芸術とは愛ではなく「義」のものであることを意味し、考え方として武士道に近く、イコン文明にも近い。「真のリアリズム」と聞いて現代人が思うのは遠近法だが、霊性文明から考えれば、平面的に描かれた日本画や漫画、イコンの顔こそが真のリアリズムなのである。(全10話中第3話)
逆遠近法の美術論(2)遠近法と逆遠近法
遠近法は西欧文明がルネッサンスの時代に発明したもので、我々が見たとおりに表現する。この「遠近法の思想」から、民主主義も生れ、科学文明も生まれた。一方、イコンに象徴的に示される「逆遠近法」は、原始性を持ち、複眼的である。その意味でイコンは、本来、日本の漫画や浮世絵にも近い。ところが、西欧に汚染された日本画は、今では遠近法で描かれるようになってしまった。西欧的な「遠近法」的な視点で見ると、平面的なイコンは、幼稚な芸術に見えてしまう場合もある。だが、じつは西洋人が幼稚な芸術と評するイコンほど、霊的に素晴らしいのだと、パーヴェル・フロレンスキイは語ったのだった。(全10話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
逆遠近法の美術論(1)八反田友則の絵とビザンティン文明
芸術家・八反田友則氏は『ベラスケスのキリスト』(ミゲール・デ・ウナムーノ著)を読んで感応し、それをもとに描いた13点の絵を執行草舟コレクション・戸嶋靖昌記念館に寄贈した。その寄贈された絵を見て執行草舟は、自身が集めてきた芸術作品がローマ帝国の分裂によってできたビザンティン帝国の芸術に近いことに気づいたという。ビザンティン帝国の芸術はイコンの芸術で、「逆遠近法」で描かれている。一方、神を理論化したヨーロッパの文明から、やがて神がいなくなり、ヒューマニズムが暴走した。そうしたことを強く気づかせてくれたのも八反田氏の絵だったのだ。(全10話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
勢いと余白(11)作品を味わう…一直線
「一直線」もコシノ芸術の典型の一つである。暗黒の中を1本の「金」が垂直に流れている。これは、宇宙の生命エネルギーの「垂直軸」の流れを表している。この作品をコシノジュンコ氏は、那智の滝を「日本の一番の象徴」と言ったアンドレ・マルローの気持ちで描いたという。執行はこの作品を最初に見たときに国宝「那智瀧図」を抽象化したものと思ったが、コシノ氏にもそうした思いがあったのだ。「那智瀧図」の魂を、将来に向けた抽象画として描けるのがコシノ氏であり、だからコシノ芸術は「未来の芸術」なのである。(全11話中第11話)
勢いと余白(10)作品を味わう…影の構成Ⅱ
コシノジュンコ氏の作品「影の構成Ⅱ」を鑑賞する。この作品は、「重さ」の中にある「自由さ」を感じる作品である。黒と白のバランスが絶妙だが、コシノ氏は陰と陽の「太極」のあり方を意識しているという。常に二つで、一つで埋め尽くすと、つまらない。足し算があれば引き算があるように、二つを一つとしてバランスが取れていくのである。また、戸嶋靖昌が「優れた芸術とは欠片でも優れている」という言葉を残したが、「影の構成Ⅱ」も側面の一部だけを切り取っても、一つの芸術作品になっている。(全11話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勢いと余白(9)生命的自由、運命、逆遠近法
生命は表現しようとすると、嫌味になる。だからそれを表現するのは難しい。だが、コシノ芸術はそれが本当に綺麗に表わされている。コシノ芸術とは、人間賛歌であり、生命的自由の賛歌なのである。そのコシノ芸術の特長は、コシノ氏の家系の中に脈々とある、「人間の生命の自由」を本当に求めるあり方に基づくものであろう。コシノジュンコ氏にとって、ファッションは「運命」であった。その流れに逆らわないことで、スーッと人生がうまくいったという。そして、コシノ芸術の最大の魅力の1つは、「逆遠近法」である。コシノ氏の強い「目力」が、絵の中に生命力として入っているのだ。(全11話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勢いと余白(8)余白をどのようにデザインするか
コシノジュンコ氏は、自分がもっと描こうと思っても、本能的に手が動かなくなるという。優れた芸術はみな「足りない」「未完」の部分がある。そうした作品にするには一歩引いて見る視点が大事である。そしてそこには、いい塩梅(あんばい)とも言うべき、事前の計算があるべきである。そこから、「余白の美」が生まれてくる。縄文時代の遺跡も余白の美である。文学でも、人の心を揺さぶるほどに感動させる文学作品も、未完であることが多い。(全11話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勢いと余白(7)見えないところで整える
「見えないところで本当にきちんと整えるのが『日本の感性』」だとコシノジュンコ氏は語る。それは「おもてなし」もそうだし、美空ひばりが日々の暮らしからステージまで、一貫して努力していたのもそこだった。昔の日本女性はみんなそうで、「無欲」で見た目はおとなしいが、国や世間を気にしない強さがあった。そうした人たちの積み上げの中でコシノ芸術も生まれている。コシノ芸術の「勢い」はそのようなものの堆積、重力から生まれているのである。(全11話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勢いと余白(6)単純なものこそ感動する
コシノジュンコ氏は自分が女性であることも、あまり意識しないという。意識するのは仕事や時代など、見えるものだけである。コシノ氏の著書『56の大丈夫』の核心も、「人のために喜んでもらう」ことだという。「自分が好かれたい」ではなく「相手にどうしてあげるか」ということでもある。そして、今、目の前にあることを楽しんで大切にすることが人生の成功だという。また、人は単純なものこそ感動する。その精神は、おもてなしにもつながると、美空ひばりのエピソードを紹介しつつ語る。(全11話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勢いと余白(5)肉体にも年齢にも囚われない
コシノジュンコ氏はブロードウェイミュージカル『Pacific Overtures』の100着以上ある衣装のすべてを3日でデザインした。これは、江戸時代から、明治、さらに現代にまでわたる衣装のデザインだった。映画『火の鳥』の衣装デザインをしたときも、見えない古代と未来と、宇宙がつながっていると感じた。そもそもコシノ氏は「年齢なんて、なくていい」「年齢をなくしたら面白い」という。そう考えれば子どももみんな個性的に見え、むしろ子どものほうが自由であることがわかるというのである。これも岸和田に息づく「スサノオ」の精神かもしれない。最も身近なものを血肉にした人が、世界に通用する人になるのである。(全11話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勢いと余白(4)エネルギーの根源とは
「書」は勢いで書けるが、油絵具やアクリル絵具は、勢いで描けるように作られていない。だが、コシノジュンコ氏の絵には、書と同じ勢いがある。それは、なぜなのだろうか。また、コシノジュンコ氏は何でも面白がり、やりだすとやめられないというが、それはまさに、コシノ氏の母と同じである。コシノ氏の母は「やればできる」という信念を持っていた。そして人が好きで、誰からも好かれていた。エネルギーの元は、「人のためにいろいろやってあげる」ところにあった。母がモデルになった朝ドラ『カーネーション』というタイトルは、まことにピッタリな命名であったことも分かる。(全11話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勢いと余白(3)マグマのようなエネルギー
子どもの頃からだんじりを曳いていたコシノジュンコ氏は、絵も「勢い」で描く。だんじりは「一気」「団結」が重要だが、それと同じで、迷うとおかしくなってしまうからである。また三姉妹で競走しながら育ったため、自分の個性を大事にしてきた。三姉妹はよく「似ている」と言われるが、共通点は「親が一緒」という以外ない。ただ母親は三姉妹に「どの指切っても痛いねん」と言ってくれた。そんななかで育ったコシノ氏は、絵は「頭」で描いているのではないという。(全11話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勢いと余白(2)岸和田と「だんじり精神」
コシノ家の女性は、母も三姉妹も、全員「服の持つ力で世の中に貢献する」という信念を持っていた。コシノ氏の母をモデルにした朝ドラ『カーネーション』から、そのことが濃厚に伝わってくる。そしてこれは、岸和田のど真ん中で育った人たちが持つ、だんじり精神でもある。お祭の歴史のある町の「ど真ん中」で育つ幸せが、そこにはある。日本人はお祭りがあるから団結でき、いざとなれば強い。なかでもだんじり祭りは、日本人が持つ良さが全部出ている祭りだといえる。(全11話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勢いと余白(1)映画『火の鳥』の衣装
コシノジュンコ氏の芸術の秘密に、執行草舟が迫る対談。コシノジュンコ氏の作品には、原始の力と、原始からそのまま出てくる生命力があると執行は語る。はたして、どのようなことか。そもそも、執行草舟がコシノ氏を知ったのは、手塚治虫原作の映画『火の鳥』でコシノ氏がつくった「衣装」の力を感じたことに始まる。以来、コシノ作品を見るようになり、コシノジュンコ氏の描いた絵画も集めるようになった。コシノ氏は映画『火の鳥』の衣装を「超過去は超未来と一緒」と考えてデザインしたという。この衣装は、神話や古代史の真実を理解させるほどの力を持っていた。(全11話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
『ベラスケスのキリスト』を読み解く(13)日本と霊性文明
「霊性文明を引っ張れるのは日本だけ」とマルローは述べている。かつて霊性文明に限り無く近づいた歴史を日本が持っていたからである。かつての日本では、師弟関係においても、ほとんどしゃべらなかったといわれる。なるほど、沈黙が長ければ長いほど、声にはより大きな宇宙エネルギーが入る。日露戦争では大山巌も、東郷平八郎も乃木希典も多くをしゃべらなかった。まさに霊性文明におけるリーダーのあり方ともいえる。また、大英帝国の時代のイギリスの名門校では鉄拳制裁も激しかったが、それが最も高貴なものを生み出した部分もあるのは興味深い。(全13話中第13話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
『ベラスケスのキリスト』を読み解く(12)キーワードを読み解く〈下〉
『ベラスケスのキリスト』第4部第1節に「死に死を与える」という言葉が出てくる。これは「肉体のある人生が人生」と思っている限り、理解できない。戦後の日本人は貧しかったが、写真を見るとみんな明るい。当時の日本人は「人生なんて、どうにかなる」「死ぬときが来たら死ねばいい」と達観していたからである。今より少しは永遠の命とつながっていたのであろう。つまり死を受け入れているから、死を忘れることができる。執行草舟はこれを『葉隠』で理解した。『葉隠』は、じつは神秘思想の書でもある。(全13話中第12話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
『ベラスケスのキリスト』を読み解く(11)キーワードを読み解く〈中〉
「剣を磨(ま)す火花」という言葉は、われわれの生命を表わす根源的な言葉である。また生命の本質は「沈黙」で、これは宇宙の本質が沈黙だからである。現実のわれわれは火花なしで生きているし、言葉もしゃべる。だがわれわれの本質は暗黒の中に生きる愛を目指す火花である、この感覚がわかると神秘思想もわかるようになる。自分の運命を「宇宙的使命」と考え、今を生きていればこそ、人生の苦労を乗り切れる。その裏打ちとなるのが沈黙なのだ。(全13回中第11話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
『ベラスケスのキリスト』を読み解く(10)キーワードを読み解く〈上〉
この長編詩には繰り返し使われるキーワードがいくつかある。その意味を理解することは大事で、例えば「白」は宇宙における生命あるものの姿である。白の逆は暗黒や混沌で、沈黙や永遠の生命でもある。「薔薇」は創造の回転エネルギーの象徴で、仏教の「蓮」と同じ意味を持つ。「月」や「明けの明星」も重要なキーワードで、意味を知らなければ読み解くことはできない。また、「その剣で、我々の生命と大地を結ぶ臍(へそ)の緒を断たねばならぬ」とは、われわれのなかの「大地」性を断ち切ることである。(全13話中第10話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
『ベラスケスのキリスト』を読み解く(9)自分の命と永遠の命
『ベラスケスのキリスト』を座右の書として読み込んでいくと、ウナムーノがキリストと同一化していく行程を追体験できる。すると「生の革命」が起こり、「自分の命」が「永遠の命」につながっていくようになる。「義の心」を引き寄せることにもなり、原始キリスト教徒が持っていた本当の人類愛を持てるようになる。これは「新しい創世記」を実行することでもあるが、現代でそれができる人は少ない。(全13回中第9話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
『ベラスケスのキリスト』を読み解く(8)永遠の命を描いた磔刑図
ウナムーノが対話の対象としてベラスケスのキリストを選んだのは、「永遠の命」を描いた唯一のものだったからである。ベラスケスのキリスト磔刑図は、どれだけ見ていても飽きない。これは「永遠」とつながることを意味する。ウナムーノは対話を通じて「新しい創世記」をつくろうとしたのではないか。「新しい創世記」はドイツ哲学者のブロッホの言葉で、ブロッホは真の創世記は「初め」ではなく「終わり」に来ると述べている。人類の未来を見るうえで一番だめなのは「希望」である。「なんとかなる」と思っているかぎり、人類の抱える問題は解決しない。(全13話中第8話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
『ベラスケスのキリスト』を読み解く(7)不滅の生とは何か
執行草舟とウナムーノの出会いは、20歳のときに『生の悲劇的感情』を読んだことに始まる。執行草舟は『葉隠』のヨーロッパ版のように感じ、本書によりヨーロッパの騎士道と日本の武士道との相関関係もわかった。ウナムーノと武士道の共通点は、愛の本質を「苦しみ」としているところである。また『生の悲劇的感情』に「不幸の底から新しい生が湧き出てくる」とある。これこそ不滅の生を追求する人間の最も根源的な生き方であり、執行草舟の生命論の根源思想でもある。(全13話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
『ベラスケスのキリスト』を読み解く(6)偉大な宗教家のエキス
昔の仏教者の生き方は武士道そのままであった。日本への渡海に失敗して失明しても挫けず、ついに日本にやってきた鑑真も、その一人である。大事なのは「脱ヒューマニズム」だが、今の西洋文明はキリスト教のいいとこ取りにしかなっていない。キリスト教の本質は厳しさで、これが霊性文明の本質でもある。『ベラスケスのキリスト』を読み込めば、昔の宗教家の大事なエキスを取り戻せる。ミシェル・セールが『人類再生』で、「私を殺す者が、私を強化しているのである」という言葉を書いているが、この覚悟が重要である。(全13話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
『ベラスケスのキリスト』を読み解く(5)ダンテ『神曲』とミルトン『失楽園』
『ベラスケスのキリスト』には「騒音と沈黙」「永遠と欲望」「霊と肉」などの対決が書かれている。その対決からウナムーノは、ヨーロッパの本質を紡ぎだした。本書を読めば錬金術やキリスト教、さらには現代科学までわかる。ある種の教科書であり、聖書である。これはダンテの『神曲』や、ジョン・ミルトンの『失楽園』にも通じる。近世の精髄が『失楽園』、中世の精髄が『神曲』、近代の精髄が『ベラスケスのキリスト』なのである。(全13話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
『ベラスケスのキリスト』を読み解く(4)慈善は宗教の本質ではない
昔の宗教家は、信仰のために自らの命を投げ出すことができた。だが、現代人にそれは、とうてい無理である。だから新しい人間の魂を生み出すには、昔の宗教家の魂と対話して、命の価値を考えつづけ、葛藤しつづけるしかない。これを実際に行ったのがウナムーノで、その記録が『ベラスケスのキリスト』である。ウナムーノの葛藤を通じてわかるのは、文明の未来である。葛藤することで、「人間が持つ宇宙的使命」がわかってくる。宇宙的使命がわかると、人類がどのようになっていくかもわかる。これが霊性文明でもある。葛藤がなければ霊性文明は生まれない。(全13話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
『ベラスケスのキリスト』を読み解く(3)幕末明治と霊性文明
マルローは「霊性文明は日本しかできないだろう」と述べたという。たしかに、ヨーロッパやアメリカは「言語の文明」であるのに対し、日本は明治初期まで夫婦も親子もほとんど会話をしないほどだった。執行草舟は、祖母に祖父のことを聞いたことがあるが、「話したことないから、わからない。声も知らない」といわれたという。日露戦争で東郷平八郎が発したのも言葉ではなく、右手を左に下げるジェスチャーだけだった。江戸城開城でも、西郷隆盛と勝海舟はほとんど会話をしていない。ある意味では、このような「沈黙の文化」が霊性文明に近いのである。(全13話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
『ベラスケスのキリスト』を読み解く(2)騒音と沈黙
フランスの作家で政治家でもあったアンドレ・マルローは「霊性文明の時代に入れなければ人類は滅びる」と50年以上前に予言したという。文明に毒されている現代人は、真の意味でキリスト教を信仰することはできないからである。人類が滅びないためには宗教を超えた存在が必要で、それが霊性文明である。原始キリスト教は「静かな」世界だったのに対し、現代は「饒舌と騒音」の時代である。霊性文明とは沈黙と瞑想の時代で、沈黙と瞑想が本当の価値として定着した時代のことである。(全13話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
『ベラスケスのキリスト』を読み解く(1)霊性文明の時代に
執行草舟は、スペインの哲学者ウナムーノが著した『ベラスケスのキリスト』の本邦初訳を監訳した。本シリーズでは、この『ベラスケスのキリスト』について、その要点を解説していく。本書は20世紀初頭の哲学者であるウナムーノが、プラド美術館にあるベラスケス画のキリスト像と対話する中で生まれた長編詩である。キリスト像と生涯向き合う中で味わった魂の苦悶、葛藤、対決が赤裸々に描かれている。科学文明がここまで進んだ現代人はもはや、原始キリスト教や原始仏教を信じた人たちのようには、神を信じることができない。だからこそ、本書を読むことでウナムーノの体験を追体験してほしい。これは人類が21世紀に向かうべき「霊性文明」をつかむために必要なことでもある。(全13話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
作用と反作用について…人間と戦争(10)情緒と魂
問題意識がなくなった日本人は、文学も読まなくなった。読んだとしても感応する情緒がなくなっている。30年前に『若きウェルテルの悩み』を恋愛に興味のある若い女性に勧めたが、ウェルテルが自殺する理由がまったくわからなかった。また悲劇を描いたサマセット・モームの『月と六ペンス』や、悩みが増えるはずのドストエフスキー小説も「楽しかった」で終わってしまう。あれだけ人気のあった山本周五郎や藤沢周平も、今なら出版してもらえまい。『鬼平犯科帳』のどこに人情が描かれているのかさえ、わからない。人間の基盤ができておらず、ただ世の中を「うまく渡ろう」と考えるようになっている。やはり重要なのは学問ではなく、まずは魂があることなのだ。(全10話中第10話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
作用と反作用について…人間と戦争(9)戦えない日本人
戦争では「必ず勝つ」と司令官が思っている側が、最後は勝つ。「絶対に勝つ」と思えない日本は、永遠に戦争で勝てない。若い頃は、憲法改正派だったが、その意味で今は改正しないほうがいいと思っている。憲法第9条で「日本は戦わない」と書いてあるから日本は助かっているのである。湾岸戦争で日本の自衛隊は、はるかに装備の劣るオランダ軍に守ってもらい、それを恥ずかしいと思わなかった。こんな国が憲法改正しても、もはや意味がない。日本の憲法改正は遅すぎた。これは食品添加物など、さまざまな社会問題にいえる話で、今の日本人に解決することはできない。(全10話中第9話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
作用と反作用について…人間と戦争(8)すべては自己責任
今の日本の間違いは、弱い人を中心にしていることである。学校も、勉強ができる人ではなく、できない人に合わせている。また、外国で活躍しているある日本人女性が「昔の、あの偉そうなおじさんは、どこにいったの?」とインタビューで語っていたのが印象的であった。「偉そうな人」がいることも大事で、彼らは努力をしている人でもある。私が好きなのは1930年代のアメリカで、当時のアメリカ人は自分が貧乏でも「国が悪い」「経済政策が悪い」ではなく、「それは自分のせい」と考えた。すべてを自己責任と考えられる国は強く、だから当時のアメリカは強かった。(全10話中第8話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
作用と反作用について…人間と戦争(7)作用・反作用の法則
世の中には、作用と反作用という物理学の法則がある。作用があれば、必ずそれとは反対の方向に反作用が生じているという考えである。ということは、自分に対する反対の力が大きければ大きいほど、自分が押している力が強いことを示している。つまり、壁が大きいほど、自分の存在価値も大きいということなのである。逆に反対がないのは、自分に価値がないからである。作用・反作用の法則でいえば、拮抗している力のどちらかに、0.01グラムでも力が加われば、物事は動いていく。つまり、拮抗しているバランスのなかで、0.01グラムだけでも力を足せばいいのである。それが、人間の努力の「コツ」なのだ。コツがつかめれば、壁を乗り越えるのは、たやすくなる。(全10話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
作用と反作用について…人間と戦争(6)嫉妬心から出る正義感
国家の存続のためには、自分の頭で考える人が「塊」として存在していることが大切である。そのような人間が1人だと「変人」扱いされてしまうが、10人いれば「変人」とはいえなくなる。だが、日本人は戦後、そのような「自分の頭で考える人間」を、自分たちの手で壊してしまった。象徴的なのが、学校群の導入で名門校を潰した人々である。彼らは、名門校の教師たちの誇り高き魂をぶっ潰してやると息巻いた。壊したものを元に戻すのは難しい。しかも、壊したことすら、もう忘れてしまっている。流行りに乗っただけで、自分の脳で考えていないからである。だから反省もない。(全10回中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
作用と反作用について…人間と戦争(5)お金と読書
背骨がきちんと通るためには教育や生育環境も重要である。執行草舟の父は大変な教養人で、三井物産の英語の仕事を一手に引き受けるほどの語学力があり、その縁もあって、戦後、GHQの物資を運ぶ会社の社長を務め、20代で大金を稼いだ。そのため、当時の執行家には、札束を投げて遊ぶほど金があった。おかげでトインビーなど、読みたい書籍も買いたい放題で、その環境が精神形成に大きな影響を与えた。このような階層が国の中に一定程度いることが大事だが、戦後の日本は意図してエリート階層を作らなかった。(全10話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
作用と反作用について…人間と戦争(4)出征した父の教え
プーチンはソ連時代のノーメンクラトゥーラの生き残りだが、ノーメンクラトゥーラには極めて狡猾で権力を守るためなら人殺しも辞さないところがある。悪い官僚機構は、ホッブズの言う「リバイアサン」のようなものなのだ。一方、戦後の日本は、戦争を惨めなものと教えている。ところが執行草舟の父は、中国戦線で勝ち続けた連隊にいた。その父が執行草舟に「戦争ぐらい面白いものはない」といつも語っていたという。その心理はいかなるものなのか。そして、そのような真実の一面を理解したとき、世界はどのように見えるのか。(全10話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
作用と反作用について…人間と戦争(3)相手の身になって考えよ
日本人は日米安保を信じているが、あれは張り子の虎に過ぎない。いざ戦争が起こればアメリカは日本から引いてしまうだろう。こんなことは歴史の常識である。そのことに真っ正面から向き合わない日本人は、まだ奥底は純真なのだ。だからこそ日本は怖い国だともいえるのである。損得で動かない純真な人たちは、いわば明治維新の志士たちが、お金で動かなかったのと同じだ。そのようなことも、「相手の身になって考える」という孫子の兵法に則れば、すぐにわかる。すべてを当事者として考えるのが、武士道に生きることなのだ。(全10話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
作用と反作用について…人間と戦争(2)清純な魂を忘れた西側諸国
英米は、相手が民族として生き残れないところまで制裁で締めつけるところがある。つねに弱い者に味方をして、自分一人の地位を向上させようとしてきたのが、イギリス流の「バランス・オブ・パワー」であった。とはいえ、今回、締め上げられたロシアがおとなしくなるとは限らない。注意しなければならないのは、彼らにはまだ「清純さ」が残っていることである。アメリカ人をはじめ西側主要国の人々は「損得」だけで動くようになってしまった。しかし日本人も、戦前までは「清純」で、自分が損をしても戦おうというところがあった。ロシアや旧東側の国々の人々には、まだそのような気概がある。そこが恐いところなのである。(全10話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
作用と反作用について…人間と戦争(1)大官僚主義の脳停止
執行草舟が、ウクライナ戦争にまつわる人間のあり方、そして「作用・反作用」について語る。まず取り上げるのは、2022年2月24日に始まった、ロシアによるウクライナ侵略である。この戦いの恐ろしいところは、相手がプーチンであることだ。なぜなら、プーチンはソ連時代のノーメンクラトゥーラ(エリート官僚)の「生き残り」だからだ。大官僚主義に凝り固まって、脳停止ともいえるノーメンクラトゥーラは、国を潰しても何とも思わないような人間たちだった。だからこそ、核兵器や化学兵器の使用から、第3次世界大戦に発展してしまうリスクまで、様々な危険性に満ちているのである。そのなかで、日本はあまりにもアメリカ追従で、無定見にロシアの恨みをかっていないだろうか。(全10話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
自信について(12)自信を持ったら「ただのバカ」
日本人は「自信を持たないこと」が素晴らしい活動のできる根源だった。それは、皇室や家制度があって、尊いものが常に自分の上にあったからこそのものだった。また、理想を掲げていれば負けても「誇り」を持てるが、「自信」は勝ち負けである。その自信が、戦いに負ける原因にさえなる。日露戦争の名将たちは、みな敵を怖れていた。しかし、日露戦争に勝って自信を持ってしまったため、大東亜戦争で日本は狂信的になり、負けた。過去の歴史に「自信」を持ったら「ただのバカ」である。考えてみれば、窓際族はみな、自信がすごい。(全12話中第12話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
自信について(11)絶えず挑戦するのが「保守」
たとえば売上げ目標を「前年比102」などにすると、実際には「100」にも到達しない。リスクを侵さず、去年と同じやり方でやろうとするから、時代の変化についていけない。伸びる組織は自分たちで工夫して、イノベーションを起こしている。それは「もっと役に立とう」という「理念」に向かうからこそ、イノベーションは起きる。小林秀雄は「伝統は、これを日に新たに救い出さなければ」ならないものだと語った。まさに不断の挑戦こそが「保守」の核心なのである。(全12話中第11話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
自信について(10)人助けが商売の儲けにつながる
現在、ビジネスで大きな儲けを出した創業者たちが、何十億円もかけて宇宙旅行に行っている。これは明治の成功者とは大違いだ。なにしろ明治の成功者たちは、美術事業など日本の役に立つお金の使い方をしていた。財産を使うのも、教養なのである。また、松下幸之助などは、事業においても「役に立つこと」「人助け」を軸に置いていた。戦後の松下電器の歴史は、「女性解放」の歴史である。そして、松下電器の製品が売れたのは「人間の心」が入っていたからでもあった。(全12話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
自信について(9)「質」と「量」のバランス
「量の文明」が席捲するなかではあっても、「質の追求」は誰でも日常生活でできる。ただし、限界はある。質は、量が増えるとダメになるという相関関係があるからである。だが、大正から昭和初期にかけて、見事に「質」と「量」を両立させた人物がいた。岩波書店創業者の岩波茂雄である。岩波茂雄は、「ヨーロッパの最も高い知識を日本に植え込まなければ日本は発展しない」という思いで出版活動に邁進し、大量に売れる種類の本でなくても見事に売り抜く仕組みをつくりあげたのだ。それを可能にするのは、「なんとしても成し遂げる」という執念であろう。(全12話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
自信について(8)自分の「道」はどうすれば見つかるか
自分の「道」はどうすれば見つかるのだろうか。自分本位の「自己実現」を果たしたところで、「強烈な虚しさ」を感じるだけになりかねない。「量の追求」を求める現代社会では、「道」を見つけるのは難しい。だが、キリンビールでは全員が「道」を見つけたという。それは一番高いレベルに向かったからであった。向かっているあいだに「これが自分だ」と感じる瞬間がある。それが「道」なのだ。あるコーヒーチェーンではアルバイトが「どうしたら幸せになれるか」という議論をしている。多い回答は「お客さんに喜んでもらいたい」で、「いきいき生きる」と「誰かのために尽くしたい」は、じつは「道」に近いものがある。(全12話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
自信について(7)仕事に「苦悩」はあるか、ないか
現代人は文学を読まなくなり、教養も失った。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を薦めてみても、何が書いてあるかわからない(恋愛文学であることもわからない)人ばかりになってしまった。人間は理想を追求しつづけられる人と、ズルをしてしまう人に分かれる。ズルをするのは、「楽」が好きな人である。ただし、理念を追求することで「苦悩」するのかどうかは、企業と個人とでいろいろな考え方もある。ただし、理想に向かって行動していく自己信頼の高い生き方は、現在の日本では難しいかもしれない。何しろ、国家が「他に頼ってばかり」で「嘘」をついているのだから。(全12話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
自信について(6)精神論は人間にとって一番大切なもの
一昔前の英米人は、「仕事」と「信仰の生活」とは別ものだった。だからこそ、ビジネスは「金儲け」だと割り切っていた。アメリカの寄附文化も、単に仕事を引退した人が、キリスト教の世界に戻って、慈善を行っているだけである。日本の場合は、仕事そのものが「道」を目指すものであり、「世のため人のため」を考えていた。だから引退後に慈善活動をする必要がなかった。だが現代は、欧米も日本もそうした精神を失い、「質」ではなく「量」を求めるようになった。評価が量になった結果、誰もが自信を持てない時代になってしまった。(全12話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
自信について(5)西田幾多郎の本の魅力は「永遠の苦悩」
「自分が進む道は、これだ」「うまく行くかはわからないけど、やってみる」……その境地に達するために大切なのは「初心」や「原点」の歴史を知ることである。しかし、それによって「憧れ」は抱けるようになっても、「自信」を抱くことはできない。たとえば哲学者の田邊元や西田幾多郎の全集を読んだとしても、「これで自分は、哲学をマスターした!」などということにはならない。そうではなくて、「魂の苦悩を共有する時間を持った」ことへの共感や愛情を持つのだ。それが、自己信頼に結びついていく。(全12話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
自信について(4)大和魂のあり方を問う『源氏物語』
企業理念の実現に向けて行動すれば、会社はよいほうに向かいだす。行動するために必要なのは「勇気」だが、じつは勇気を持つのが一番難しい。勇気を理解するには、民主主義や平等思想などを1回捨てて、「魂」の問題を考える必要がある。日本の文学で日本人の魂の問題を語っているのは『源氏物語』である。『源氏物語』では、ふだんは情けなくても、いざというとき立派に見える人が大和魂の持ち主と述べている。では企業の場合、勇気がない人が勇気を持てるようになるのは、どのような場合か。(全12話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
自信について(3)理念や理想への共感が自己信頼の源
「自己信頼が高く」「自分を失わない」人はどのような人だろうか。挙げられるのは「心の中に理想として共鳴できる人」を持っているかどうかである。松下幸之助や出光佐三も、自分が理想として共感できる人を心の中に持っていた。自己信頼はアメリカの哲学者エマーソンが唱えた言葉で、そこには「神への信頼」があった。日本人の多くは、キリスト教的な絶対神を持っていないが、尊敬する人や先祖などとの「魂のつながり」が同じような役割を果たしている。企業においては「企業理念」が自己信頼の根源になるのである。(全12話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
自信について(2)「自信がない」から何でもできる
田村潤氏は自分の仕事ぶりを記録して、自分を「失敗する人間」と定義したという。だから失敗を潰すように努力することができたのだ。昔の実業家や成功者もみな「何もできない自分」と考えていた。「自分はダメ」と考えるから、全身全霊で体当たりして成果を出せる。成功した人が持っていたのは「自信」ではなく「勇気」である。勇気を持つために必要なのは理想を掲げ、信じることである。そして理想とは憧れであり追い求めるものであって、自信につながるものではないのである。(全12話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
自信について(1)現代は「自信教」にまみれている
執行草舟と田村潤氏が、「自信」についてどう考えるべきかを論じあう対論。最近の日本は、とくに若い人で自分の仕事に自信がない人が多い。もちろん、そうなってしまった大きな要因としては、日本の大家族主義的な気風が失われてしまったことが大きく関係している。しかし一方で、戦後の日本社会では「自信を持たなければならない」という教育をしていたために、その反作用で、逆に自信を失った面もあるのではないだろうか。そもそも、「自信など持たないほうがいい」というのが日本の伝統的な考え方だった。豊臣秀吉も全国制覇して自信を持ったら、「バカなじいさん」になってしまった。(全12話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
憂国の芸術(9)人間は家畜に向かっている
カトリック信者だったミゲール・デ・ウナムーノは、「人間とは、愛のために一生苦悩して生きるか、それとも魂の苦悩を全部捨てて幸福になるか、どちらかしかない」と書いた。しかし、今を生きる人間の多くが、苦悩を捨てて、「幸福」だけを取って生きていないか。これは人間ではなく、家畜に向かっているのと同じである。有名な洋画家・林武の父は国学者で、明治以降、国語運動に命懸けで取り組み、貧しいまま一生を終えた。このような父がいたから、林武も立派な画家になった。このような魅力ある人は、少し前の日本にはザラにいた。今の世の「家畜」のような人間に魅力などあるはずがない。(全9話中第9話)
憂国の芸術(8)西郷隆盛と山岡鉄舟の「友達の書」
「憂国の芸術」には西郷隆盛と山岡鉄舟の書もある。今回紹介する西郷隆盛の書は、執行草舟が「友達の書」と名づけたもの。政府の特使として西南戦争を止めに来た山岡鉄舟に送ったものである。死を決して薄墨で書かれ、これを見て山岡は説得を諦めたという。一方、今回紹介する山岡鉄舟の書は雄大に「龍」と書かれたもの。「明治維新をやった日本人の真心が一番入っている書は、芸術的に間違いなく山岡鉄舟」だと執行は語る。大事なのは優れたものに親しむことで、これは人間とのつきあいでも同じである。(全9話中第8話)
憂国の芸術(7)ウナムーノの『ベラスケスのキリスト』
芸術作品にほれ込んで、素晴らしい体験をした一人にスペインの哲学者ミゲール・デ・ウナムーノがいる。彼はベラスケスの描いた「十字架上のキリスト」の絵が好きで、プラド美術館でいつもキリスト像と対面しているうちに、キリストと対話する体験をしたのである。その神秘体験を余すところなく描ききったのが、『ベラスケスのキリスト』という長篇詩である。この詩は、スペイン語で書かれているうえ霊的体験をもとにした詩なので日本では翻訳できる人がいなかった。この傑作を、いかに執行草舟が監訳し、『ベラスケスのキリスト』(法政大学出版局)として出版することになったのか。(全9話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
憂国の芸術(6)泥水を描いて「蓮の花」になる
洋画家 戸嶋靖昌は「優れた芸術は、汚い色が綺麗な色になる」と言った。同じことはコシノジュンコ氏の絵にも言える。まさに泥水を描いているように見えて「蓮の花」が現われてくるのが、真の芸術家なのである。ところで、芸術作品に「恋」をした偉人がいる。有名な江戸期の国学者・本居宣長である。本居宣長が『古事記』や『源氏物語』を解釈してくれたおかげで、明治期以降のわれわれもそれらを読み解くことができるのだが、その本居宣長は、今、正式に「国文学者」としては認められていない。それは本居宣長が「偏っている」と評価されているからである。だが本居宣長は、偏るほどに「恋をした」からこそ、偉業を成し遂げることができたのだ。(全9話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
憂国の芸術(5)一流であり続けることのすごさ
「現世的に成功するかどうかは、親や先祖で決まる」と考えれば、成功しなくても気にする必要はなくなる。自分とは関係ないことだからだ。コシノジュンコ氏がすごいのは、19歳で賞を獲って以降、80歳を超えても一流を維持していることである。若くして成功すると、ふつうは10年持たない。途中で道を踏み間違えないのは、やはり「人徳」としか言いようがない。これも、「親の人徳」を受け継いでいる部分が大きいのであろう。コシノ氏が描く絵はたとえ憎らしく描かれた顔であっても、ミューズ(女神)に見える。それは彼女の心が美しいからである。心が美しい人が描く絵は、汚いものを描いても価値のあるものに変わる。(全9話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
憂国の芸術(4)現世的成功をもたらす「徳」の根源
コシノジュンコ氏は戦後の焼け野原だった大阪から出てきた。日本が豊かになると、彼女のような強い個性の作家は出なくなった。強い個性は枯渇感がなければ出てこないのだ。ところで、コシノジュンコ氏はとても温かくて親切で、現世的にも成功者だが、洋画家・戸嶋靖昌(執行草舟コレクション所蔵作家)は現世的には無一文で死んだ。現世で成功できるかできないかを分けるのは、本人よりも親や先祖の違いであろう。コシノ氏はお母さんから「徳」を受け継いで成功した。執行草舟の母も徳のある人であった。(全9話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
憂国の芸術(3)コシノジュンコの魂と芸術
一番新しい執行草舟コレクション収蔵作品は、ファッションデザイナーのコシノジュンコ氏の絵である。彼女と話すと、日本人の燃える魂を感じる。そして、コシノ氏の母も、とても素晴らしい。生活そのものが芸術になっているような人であった。そんなコシノジュンコ氏の絵画作品には、彼女自身や彼女の母の「日本的な歴史に根差した真の反骨精神」が描かれているように感じる。それゆえ、彼女の絵のシリーズ全体を執行草舟は「ミューズ・ブラッキー(黒の女神)」と呼んでいる。(全9話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
憂国の芸術(2)ベートーヴェン第5交響曲と内村鑑三全集
執行草舟は、ベートーヴェンの交響曲第5番も小学5年から毎日欠かさずに聞き続けた。すると、ベートーヴェンが音符として打ち込んだ言葉の意味が、全部分かるようになった。内村鑑三も好きで、小学生のときから読んでいた。30歳の頃に全40巻の全集が刊行され、これを毎月読みながら、自分自身の思想の根幹となった「絶対負の思想」を構築した。「自分にわからないはずがない」という決意を支えたのは、山本常朝が『葉隠』に書いた「同じ人間が、誰に劣り申すべきや」という言葉への信頼であった。(全9話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
憂国の芸術(1)芸術作品こそが心を動かす
執行草舟が、自身の芸術コレクションの中から、コシノジュンコ氏の作品などを紹介するシリーズ。執行草舟は、芸術として優れているのに加え、魂の燃焼に命をかけて生きた人たちの作品を「憂国の芸術」と名づけて集めている。その大きなきっかけは、『万葉集』を自分なりに愛読しているうちに、奈良時代の人たちの顔や姿、生活まで脳裏に浮かぶようになった経験をしたからである。日本の文化が落ちるところまで落ちたとき、後世の人間に「憂国の芸術」を見てもらい、過去に魂が立派だった人たちがいたことを想起してほしいと思ってのことであった。(全9話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
勇気について(10)未来を信じる勇気
Jリーグチェアマンとして村井満氏はパフォームグループ(DAZNグループ)と契約し、世界で初めてサッカー中継を全試合、インターネットやスマホを使って、いつでもどこでも見られるようにした。10年間で2000億円の契約という、大変な快挙であった。この成功の裏には村井氏がロンドンに乗り込み、体当たりで直談判したことがあった。これは『葉隠』的なものが、ビジネスに生きたことを意味する。また村井氏に「未来を信じる勇気」があったからでもある。村井氏がさまざまなことを成し遂げられたのは、村井氏の奥深くに眠る「愛の力」が大きい。「愛の力」の根源は、「決める」こと。「決める」のは不合理であり、だからこそ勇気が不可欠なのだ。勇気がある人だけが愛を実現できる。(全10話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勇気について(9)「自ら」と「自ずから」
Jリーグが新型コロナウイルス対策に本格的に乗り出したのは、2020年1月22日のこと。まだ政府も医師も、コロナ対策について、ほとんどわかっていないときだった。Jリーグは、いち早く試合の中断を決定。感染対策を徹底させたのち、今度はいち早く、試合の再開を進めた。これも村井満氏の取り組みの中で、もっとも素晴らしいものの1つである。ここで村井氏を支えたのは「自ら」と「自ずから」の話であった。意味が正反対の「自ら」と「自ずから」に同じ漢字を使うのは、両者が実はつながっているからなのである。この2つの対極概念を考え抜くことで、アウフヘーベンへの道が見えてくる。(全10話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勇気について(8)スポーツの根源は「遊び」
村井満氏は、若いころ、執行草舟から「スポーツは『貴族の遊び』だ」と言われて衝撃を受けた。だが、その言葉がJリーグチェアマンとしての仕事の支えになっているという。スポーツの語源デポールトは「港を離れる」の意味で、港を離れて非日常を楽しむことから来ている。ところがイギリスの教育家がスポーツを人間修練に使いだしたことから、「楽しむためのもの」ではなくなっていった。それを「楽しむため」に戻したのが、村井氏がチェアマンになってからのJリーグである。今では野球やラグビーにも広がり、日本人全体がスポーツを楽しむようになった。これは村井氏が「夢と現実を同時に考える勇気」を持っていた結果でもある。(全10話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勇気について(7)自転車にナナハンのエンジンを積むな
村井満氏は、昔から「迷ったら緊張するほうを選ぶ」と決めているという。自分が絶対に無理と思っていることは、いわれても緊張しない。簡単すぎることも緊張しない。むしろ、自分が「できるかできないかギリギリだ」と思っているときに緊張する。だからこそ、緊張感を覚えたら、「やる」決断を下すのだ。緊張しなくなれば、成長は止まる。とはいえ、「自転車にナナハンのエンジンを積む」ようなこともしてはいけない。「自分に与えられた試練は、必ず乗り越えられる試練だ」という境地は、そのような覚悟から生まれてくる。(全10話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勇気について(6)Jリーグ第5代チェアマンに就任
フランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユは、「恩寵は満たすものである。だが恩寵を迎え入れる真空のあるところにしか入っていかない」という言葉を残している。実は、村井氏はリクルート香港法人の社長を辞めたあと、半年間、何もせず無職だった。それなりの地位にいた人が次の仕事のないまま辞める。明治時代ならともかく、これは現代では珍しい。だが、そんな村井氏だからこそ、まさに神の恩寵のようにJリーグチェアマンの話も来たのであろう。就任に際して村井は「命を賭して受ける」と語った。この言葉がすぐに出てくるところに、村井氏の本質がある。(全10話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勇気について(5)不合理を愛する勇気
村井氏は物事を「主観」と「客観」など、つねに二律背反で考えてきた。これは「不合理を愛する勇気」でもある。世の中の不合理を受け入れることができると、アウフヘーベンもできるようになる。不合理といえば、先祖もまた不合理な存在である。先祖には欠点もあれば、よい面もあるが、気質や体質の遺伝というかたちで、それらが有無をいわさず自分に影響を与えるからである。だが、そのような先祖の欠点をも愛することで、先祖の遺徳ももらえるのである。また、先祖を愛する心は、家族を愛する心にも通じる。現代人には、「不合理を愛する勇気」が必要なのだ。(全10話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勇気について(4)「相手の立場に立つ勇気」とは
リクルートエイブリック、そしてリクルート香港法人の社長となった村井氏。執行草舟は、その村井氏の成功の重要なカギは「相手の立場に立つ勇気」だという。人間が動物である以上、どうしても「自我意識」があり、「相手の立場に立つ」のはけっして容易いなことではない。だが、村井氏はそれを乗り越えた。香港法人の社長を務めたとき、現地の会社を買収する際に、その現地の女性社長から「あなたがどういう人間かを確かめたい」といわれ、「幹部50人を集めるから、直接口説いてくれ」といわれた。最初、言葉の壁もあって、うまく行かなかった。だが、粘り強く、歌を歌ったり、思いのたけを拙い英語で話し、理解しあうことができた。数字や理屈でなく「ぶつかる」ことの大切さを、直に学んだのだった。(全10話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勇気について(3)「主観」と「始動力」
ビジネスの世界では「客観」ばかりを重視する。だが、村井氏はつねに「主観」と「客観」の両輪で考えてきた。すべてのものは二律背反で、真実は必ず主観と客観、いいものと悪いものが合わさってできているのだ。村井氏がもう一つ学んだのが西郷隆盛の「始動力」であり、ゼロから1をつくる勇気である。これは「できないかもしれない」という疑いを克服する勇気でもある。リクルート事件が起きたとき、誰もが「終わった」と思ったが、村井は福利厚生の全廃などに果断に取り組み、「雇用は保障しないけれど、雇用される能力は保障される会社にしたい」と勇気を持って訴えて、従業員の心を再建のベクトルに向かわせた。(全10話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勇気について(2)真実を受け入れる勇気
実は村井氏は、大きな悲劇に直面している。長男を2歳で失ったのである。深い悲しみに打ちひしがれ、現実が受け入れられず、絶望のなか執行草舟のもとを訪れると、執行草舟が発した言葉は「それは、ある意味よかったのかもしれないよ」「自分たちのいい意味の“身代わり”になって死んでくれたのだ」というものだった。この言葉は、村井氏にいかに響いたのか。そして、「真実を受け入れる勇気」とは、どのようなものであるのか。(全10話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
勇気について(1)2人の出会いと縁
Jリーグの5代目チェアマン・村井満氏は、リクルート出身で、初のサッカー界と無縁のチェアマンである。引退した選手のセカンドキャリア支援をしていた関係でJリーグと縁ができ、チェアマンに就任したのだった。実は、執行草舟との縁は深く、リクルートの新人時代に、創業したばかりの執行草舟の会社を訪れたことから始まっている。初めて会ったときから執行草舟は、おとなしく見える村井氏に、秘めた情熱を感じた。実際に、村井氏は学生時代に文革直後の中国を徒歩旅行するなど、秘めたものを持っていた。まだ若かりし2人の出会いの頃の思い出を振り返る。(全10話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
私の「葉隠十戒」(4)同じ人間が、誰に劣り申すべきや
第九戒「必死の観念、一日仕切りなるべし」は、毎日「やりきる」ことの重要さを述べたものである。明日を思い煩わず、日々自分の生命と対面する。その日に全力を投入せよという意味である。第十戒「同じ人間が、誰に劣り申すべきや」は、武士道が真の平等思想であることを表す言葉である。肉体や物質に関わるものをすべて忘れ、魂と生命で勝負するなら、将軍も足軽も関係ない。人ができたことで、自分ができないことは何もない。そう思えなければ武士道も全うできない。武士道は何千年の歴史を抱えた日本文化の背骨である。武士道を掲げたなら、今の政治家や学者が何を言っても、まったく関係ないのだ。(全4話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
私の「葉隠十戒」(3)気違ひになりて死に狂ひするまで
第五戒「恋の至極(しごく)は、忍ぶ恋と見立て申し候」の恋は、「憧れ」を意味する。憧れは、絶対に手の届かないものでなければならない。手に届かないものだからこそ、自分の生命に崇高なものをもたらすのである。第六戒「一生忍んで、思い死にする事こそ恋の本意なれ」は、忍ぶ恋とは自分以外は永遠に知らない恋で、相手に伝えてもいけないという意味である。「口に出したら嘘になってしまう」という感覚である。第七戒「本気にては大業はならず、気違ひになりて死に狂ひするまでなり」は、すべて死ぬ気で当たらなければ何事もできないということ。第八戒「不仕合せの時、草臥(くたぶ)るる者は益に立たざるなり」は、不幸せのときをどう過ごすかで、その人の生命の価値が決まるという意味である。(全4話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
私の「葉隠十戒」(2)毎朝毎夕、改めては死に改めては死ぬ
第三戒「図に当たらぬは犬死などといふ事は、上方風(かみがたふう)の打ち上りたる武道なるべし」は、つまり、自分の信念に基づいて体当たりをすれば、あとの結果が成功だろうが失敗だろうが構わない、という戒めである。「成果が出なければ犬死に」などと考えること自体が間違い。結果は関係なく、ただ一生懸命やれば、それが立派で素晴らしい人生になるのである。第四戒「毎朝毎夕、改めては死に改めては死ぬ」は、死は毎日念じない限り意味がないということ。「改めては死に」とは、憧れに向かう生き方でもある。「憧れ」は簡単な言葉でいえば「初心」のこと。毎日、思い出すというより、そこに立ち返るほど真剣に向きあうのだ。(全4話中第2話)
私の「葉隠十戒」(1)武士道といふは死ぬ事と見附けたり
小学校4年生くらいのとき、映画の『十戒』を見て感動し、『葉隠』の中から一番武士道的に響いた10の言葉を選んだ。それが「葉隠十戒」であり、それは70歳を越えた今でも、まったく動いていない。すべてここに収斂していくと言ってもよい。第一戒「武士道といふは、死ぬ事と見附けたり」は、武士道の根源中の根源である。人間は死を思ってこそ、いい人生を送れるし、いい仕事もできる。第二戒は「二つ二つの場にて、早く死ぬほうに片付くばかりなり」。「死ぬほう」つまり「損するほう」を取ると決めていれば、人から与えられた餌に食いつくことなく、信念を貫き、意地を通す生き方ができる。(全4話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「葉隠武士道」を生きる(12)自分の卑しさと対面せよ
「卑しさ」は、本人が「卑しさ」に直面しようと思わなければ自覚できない。戦後の日本人は「卑しい」ことを「正しい」と言ってしまった。「日本は平和憲法だからすごい」というのもそうである。領土を全部取られても平和国家を貫くならば、「バカな国家」とは言われるが「美しく」はある。だが現実の日本は、アメリカの武力をバックに、中国や韓国、北朝鮮に突っ張っている。これこそ「嘘」ではないか。かくも「言い訳」や「卑しさ」が正義になってしまっている国では、あえて「自分一人は違う」という気概が必要なのだ。その気概を持つためには、今の人と話すのではなく、武士の生き方を示した本を読むしかない。(全12話中第12話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「葉隠武士道」を生きる(11)信義のために命を捧げる覚悟
友達を選ぶときは、そこに人生を捧げるぐらいの覚悟が必要である。その結果、人生がうまくいかなくても、それは失敗とは言わない。友情に命を捧げたのなら、それは見事な生き方と言っていい。人生の幸不幸、成功不成功に関係なく、生命を燃焼できればその人生は大成功である。だが戦後の日本は、あえて「卑しさ」を甘受して「得」を取った。その結果、たとえば、イラク戦争でクウェートに派遣された自衛隊は、10分の1の装備しか持たないオランダ軍に守ってもらい、危機が迫ると逃げた。一方、オランダ兵からは戦死者も出ている。これでは、軽蔑されて当たり前の話である。(全12話中第11話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「葉隠武士道」を生きる(10)武士の「本当の勝ち」とは
武士にとって、「本当の勝ち」とは「武士道の貫徹」だった。武士道を貫徹できるならば、勝ち負けは「ついで」だと考えていた。だが、そのように考えればこそ、むしろ実際の戦いの場では発想が自由になった。勝ちを意識すると硬くなり緊張してしまうが、武士道を貫徹することを考えれば、好きに生きられるようになる。「嘘をつかない」「約束を絶対に守る」ということも、そうである。これを大事にしていれば、絶対に信用は高まる。ジェントルマンがいた時代の大英帝国が世界を制覇できたのも、どんなに犠牲を払おうとも約束を守ったからである。相手がどうであれ、自分がした約束は絶対に守る。そのためには軽々と約束しないことも重要となるのだ。(全12話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「葉隠武士道」を生きる(9)「家」を滅ぼしたGHQ
古来、日本人にとって「家」は非常に重要なものであった。だが、そのことを、現代日本人にどうすれば伝えることができるのか。これは、きわめて難しい。まず、ここで言う「家」は今の「家庭」のあり方とは違う。むしろ小さい企業のあり方のほうが、昔の家制度や大家族主義に近いといえよう。だが、その大家族主義は、どんどん理解されなくなっている。なぜそうなったかといえば、第2次世界大戦に敗北した後、日本を占領した連合国が、日本の忠孝を破壊することを目論んだからだ。ドイツの場合は、ナチスという1政党が否定されたわけだが、日本の場合は国家そのものが否定された。だが、唯々諾々とそれに従ったのは日本人自身であった。日本人は、武士道を捨てて「得」を取ったとも言える。(全12話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「葉隠武士道」を生きる(8)すべて「数」で判断する愚
昔は、真っ正面から真剣に文学論を闘わせるような気風もあったが、最近では、「争いがいけない」「嫌われたくない」ということばかり優先するようになり、友達の数やSNSの「いいね」の数を誇るようになってしまった。しかし、そもそも「人から好かれよう」と思うのは卑しい考えで、「友達の数が多いほどいい」という考えは物質主義の行きついた虚無思想の代表なのである。今はすべてが数で判断され、ベストセラーがよい本とされるが、昔は売れる本はむしろバカにされた。求めるべきは数ではなく質なのに、数でものを見るグローバリズムという消費文明が世界を覆ってしまったのだ。思えば一昔前は、食べ物をじっと見ただけで「卑しい」と叱られるような社会だった。(全12話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「葉隠武士道」を生きる(7)「真心」以外は通らない
人間関係を良くするために、「スキル」が書かれた本を学ぶ人がいる。もちろん、学ぶことは構わない。だが、結局は「真心」でぶつかるしかない。人間関係を「スキル」でやろうと思う心がけがダメなのだ。「スキル」を学んでどうこうしようとする人で、成功した人を見たことがない。とはいえ、真心で当たれば好かれると言っているのではない。99%に嫌われる可能性もあるが、それでも1%の合う人がいれば、それで十分ではないか。「真心が通じるかどうか」は実際に体当たりして、ときにしくじりながら覚えていくしかない。人生の知恵は、体当たりして失敗した体験からしか湧いてこない。(全12話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「葉隠武士道」を生きる(6)「今の自分」で戦い抜け
みんなから好かれることを目的とせず、自分の魂をどう燃焼させるかを大事にする。そのように自分を貫く生き方をすれば、多くの人から嫌われることもあろう。だが、昔の人は人に好かれる行為は、卑しいと考えていたのだ。また、「金持ちになったらやる」「自分が、あるレベルに到達したらやる」と言う人がいるが、これは全部嘘である。人を助ける人は、たとえお金がなくても人を助ける。やらない人はいつまで経ってもやらない。それだけである。金持ちだから、偉いから、成功したから、健康だから……などはまったく関係ない。本人が決意したものが、その人の生き方なのである。(全12話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「葉隠武士道」を生きる(5)人生は悩んでいるのが正常
「相手を選ぶことが大事」なのは、人間関係だけではない。いいものに触れる、いい絵に触れる、いい芸術に触れる、いい書物に触れる、などは人生の基本の中の基本である。ときに、自分が信じるものを近しい人に否定されることもある。だが、それも含めて自己責任である。武士道的な生き方を貫徹したいなら、そんなことを言わせない生き方をすることが大事である。また、今の人は「悩むべき悩み」と「悩まなくてもいい悩み」の違いも分かっていない人が多い。そして「悩むべき悩み」について言えば、人生は悩んでいるのが正常なのだ。(全12話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「葉隠武士道」を生きる(4)一番尊い命を、何に捧げるか
明治の初めには、日本でも『西国立志編』(スマイルズの『自助論』)や、福澤諭吉の『学問のすゝめ』が流行った。当時の日本人には「全部自分でやっていく」という気概があったのだ。そして、それは西洋も同じであった。しかし、社会主義や共産主義が隆盛になるにつれ、「うまくいかないのは、社会のせい」「誰かのせい」とする気風が強まってしまった。だが、すべてが自己責任だからこそ、命は尊いのである。そして、その尊い命を何に捧げるのかを考えるのが武士道であり、騎士道であり、宗教の根本なのである。もちろん、捧げようとする心を悪用して、自分を貪ろうと近づいてくる人もいるが、そういう人には一撃を食らわさなければいけない。(全12話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「葉隠武士道」を生きる(3)運命に立ち向かうのが人生
現代社会の多くの人が抱える悩みが「人間関係」である。「パワハラ」や「いじめ」はその典型的な事例だろう。だが、正しい生き方は「自分に与えられた運命」から逃げず、立ち向かうことである。パワハラされたとき、いじめられたときに正しく対処できないのは、「人に認められたい」「評価されたい」という心があるからではないか。その根底にあるのは「自分の損得」だ。そういう卑しい心から出ていることを、自分が悟るしかない。「自分がダメだ」「自分が馬鹿だ」と思えば、つまらぬ恨みも残らない。「いじめられたのも、全部自分が悪い」。そう思うことが人間の向上を生むのだ。(全12話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「葉隠武士道」を生きる(2)「自己責任」と「運命への愛」
武士は刀を抜くべき場所で抜かなければ「武士道不心得(ふこころえ)」と後ろ指をさされ、お家断絶にもなりかねなかった。逆に、刀を抜いてはいけない場所で抜いても「お家断絶」である。時と場合を、絶対に間違えない「覚悟」が武士には必須であり、「すべてを自己責任で生きる」あり方を徹底していた。同様に、「自己責任」の生き方を徹底していたのが「騎士道精神」である。「武士道」と「騎士道」は、その点で人類の頂点ともいえる精神文化であった。そして、そのような「死と隣りあわせ」の『葉隠』的な考え方は、そのまま「運命への愛」に結びつく。(全12話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「葉隠武士道」を生きる(1)武士道に生きるとは?
執行草舟が「葉隠武士道」に立脚した生き方の真髄について語る。「武士道」について論じると「道徳」と誤解されることが多いが、これは大きな間違いだと執行草舟は説く。執行草舟にとっての「武士道」とは『葉隠』に尽きるが、『葉隠』がめざすのは「生命の燃焼」だけである。ボロボロになるまで体当たりを繰り返し、燃え尽きて死ぬことに価値を見出すのだ。しかも、武士道は決して「戦いの哲学」ではない。日本の根幹をなす「家制度」に立脚した「専守防衛の哲学」なのである。はたして、その心とは?(全12話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
脱人間論(11)理想、歴史、数量化
20世紀以降、「ヒューマニズム」の名のもと、世界中でエリート教育をしなくなった。だが昆虫ですら、エリートがいなくなれば、その種は滅びる。人類が築き上げてきた諸文明にも、エリート製造システムが機能していた。歴史家のトインビーは国が滅びる3つの要因として、民族が「理想を失ったとき」「歴史を失ったとき」「物事を数量で見るようになったとき」を挙げている。中でも大事な理想とは人間で言えば「初心」である。初心を忘れなければ学校であれ結婚であれ、充実したものになる。「魂」も大事だ。現代では「魂」を持ちつづけると落ちこぼれる可能性もあるが、しかし、それでも捨てないでほしい。「魂」を捨てなければ、最終的に価値のあるいい人生を送れる。(全11話中第11話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
脱人間論(10)エリートをつくれなくなったら滅びるのみ
1968年のパリでの学生運動の時代から、世の中が変わりだした。魂より肉体を大事と思うようになり、この流れはもう止まらない。今回のコロナ禍でさらに加速し、ホモサピエンスはいよいよ滅びるときに近づいている。過去の文明を見ると、ダメになり始めた後で救われた文明には、かならずエリート集団がいた。イギリスが一番発達したヴィクトリア朝にも、ジェントルマンと呼ばれるエリートが2万人いた。だが、現代ではエリートの養成自体がタブーになっている。その結果、移民も止められず、いまや移民の家族を養うために、もともとその国にいた人々が税金を納める構造になっている。これではデモが起きるのも当然で、そのストレスはもう頂点に達している。(全11話中第10話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
脱人間論(9)ちょっとした幸福が欲しくて破滅を招く
自分の人生を体当たりで生きていれば、死ぬときもジタバタしない。死を宣告されて慌てるのは、何も考えない人生を送った人である。人口についての考え方も、日本ではおかしくなっている。子どもの数が減って「国の活力がなくなる」と憂いているが、活力で大事なのは日本人の魂である。魂が賦活すれば人口が4000万人になっても、どうということはない。逆を行っているのがヨーロッパで、自分たちが楽をするため、移民を大勢受け入れた結果、フランスの南部では公立学校でフランス語を教えられなくなっているほどだ。だが、こんなことを言えば、今の世の中では抹殺される。人間的であるには人間をやめて「超人間」になるしかない。そうすれば自由に発言でき、それを後世に伝えることもできる。(全11話中第9話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
脱人間論(8)「犬死にでいい」の覚悟
人から嫌われてもいいと思って生きてきたが、20代で恋愛をし、好きな女性ができたときは苦しかった。相手に好かれたくて仕方なかったが、それでも自分を曲げることはしなかった。そのため、ふられてしまい、「忍ばされる恋」になったが、曲げなかったことを今は誇りに思っている。孫が生まれた今、孫を死ぬほどかわいいと思う。だが、孫のために自分を変えるつもりはない。これは死生観が定まっているからでもある。死に方が決まっていれば、生き方も決まる。自分の「志」を守れるなら、自分の人生に満足も納得もしなくてもいい。『葉隠』にあるように「犬死にでいい」という覚悟で生きることが大切だ。(全11話中第8話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
脱人間論(7)なぜ成功や幸福を捨てねばならないのか
三崎船舶時代に出会った悪漢政との出会いは、人生最大の幸運だった。日本一の船頭で、強烈な魂を持っていた。学歴はないが頭が抜群に切れ、膨大な取引データもすべて記憶していたほど。こういう人が50年前までの日本にはいて、日本を支えていた。だから当時はまだ希望を持てたが、今、悪漢政のような魂を持つ日本人はいない。魂を失うのは、悪魔が撒く「幸福」「成功」「社会保障」といった、おいしい餌に釣られるから。魂を賦活させるには、みんなが喜んだり、楽しいと思うものを捨てる必要があるのだ。(全11話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
脱人間論(6)相手の「魂」がわからなければダメ
危機の状況下で物事を解決するには、必ず痛みが伴う。どこを我慢するかが大事なのに、それが決められないから適切な対応ができない。戦争も、西側諸国では、1人でも死ぬ可能性があれば、できなくなっている。そんなことでは、今後世界の軍事は、北朝鮮と中国が制するだろう。危険が伴うのは天然資源の確保も同じで、昔から命知らずの人間がその仕事を担っていた。マグロも昔の日本人は命懸けで漁に出て捕っていたが、今はお金で買うだけになっている。しかも命懸けで捕ってきた人への感謝を忘れているのが、現在の日本である。(全11話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
脱人間論(5)愛のために、自分の体をなげうつのが人類
肉体よりも魂を重んじる人は、現代では落ちこぼれになってしまう。だが、魂のために肉体をいかに犠牲にするかを考えてきたのが、人間である。その代表が武士道や騎士道だといえよう。武士道や騎士道のみならず、魂のために肉体を犠牲にすることを尊ぶのが、世界中の人類に共通する思想だったのだ。家庭の秩序を守る父親も重要で、厳格な父親がいるから母親の赦しも生きてくる。キリスト教も、厳しい「神の言葉」があって初めて、「赦しも必要」というイエスの言葉が生きてくるのである。だが、その「当たり前」のことが否定され、弱者がむしろ貴族化しているのが現代である。(全11話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
脱人間論(4)人類は「戻る」ためのホックさえ失った
宇宙には神の摂理があるが、それを捨てた始まりがルネサンスの人間中心主義で、その行き着く先が20世紀の物質文明である。信仰心を失いながらも「信仰心は大事だ」と思い、葛藤(かっとう)していたのがヴィクトリア朝のイギリスで、その呻吟(しんぎん)と葛藤がヨーロッパ最大の文明を築いた。その後、人類は消費文明に向かい、もう戻ることはできないところに至っている。ドイツの哲学者、エルンスト・ブロッホは『希望の原理』という書物の最後で「希望はない」と述べ、「これから人類は、創世記をつくらなければならない」と喝破したのだった。(全11話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
脱人間論(3)なぜ大宗教家たちは「愛」を語るのか
「愛」を認識する力を持っていることが、人間が他の動物と違うところであり、世界中の宗教家が語っているのも「愛を認識せよ」ということである。宇宙のシステムは、寿命がきた星が爆発して星雲となり、やがてそこからまた新しい星が生まれてくる「無限循環」の姿である。その「無償の愛の循環」を認識し、それを地上において展開していく役割を担っているのが人間なのだ。そして、その「無限の愛の循環」を昔の人は「神」だと言ったのである。かつて、人は「神の命令」「神の言葉」に忠実たらんと欲した。だからこそ、そのついでにヒューマニズムがあることも意味があった。だが、すでに神が死んでいるのに、ヒューマニズムだけ残っているのが現代の問題なのだ。(全11話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
脱人間論(2)「水平社会」の間違い
「働かざる者食うべからず」は人類の鉄則なのに、今はヒューマニズムによって、それが通じなくなっている。「肉体が大事」というなら、動物と変わらない。人間が動物と違うのは、愛のために肉体を犠牲にできるところ。親孝行もその一つで、今の自分があるのは育ててくれた人がいるからだから、その「恩」を忘れてはいけない。動物のなかで、人間だけが大人から愛情をかけられなければ成長できない。それは「恩」や「愛」を学ぶためなのだ。ただし「人間中心」で考えるのが当たり前の現代では、こうした考えは通じない。だからまともになろうと思えば、もう人間をやめるしかない。(全11話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
脱人間論(1)絶望の中からしか、人類は立ち直れない
今は乱世ですらない。これまでの文明史において、乱世とは、贅沢になり驕った民族を、質実剛健で精悍な民族が打ち負かし、取って替わる時代のことであった。だが、今の人類には取って替わるものがなく、これは人類が滅びることを意味する。希望のない話だが、そもそも希望があるからよくない。希望があるから「何とかなる」と原発をつくり、あらゆる消費文明をやめずにきた。紙幣の乱発も同じで、あり得ない経済成長を信じて「大丈夫」と言っている。実際は「大丈夫」なはずなどないのだ。まずは、そこを認識しなければならない。(全11話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
「壁」ありてこそ(8)特別編:芸術の中の憧れと呻吟
未来に残すべき芸術とはどのようなものか。今回、執行草舟は、まだ若き画家・八反田友則の作品を紹介する。若いがゆえに、一枚の絵に込めることができた「将来に対する憧れ」。一方、別の二枚に描かれたのは「混沌とした未来への呻吟」である。執行草舟が芸術作品に求めるものは、まず自分の信じる芸術に生命を捧げていることが一番。芸術の才能があることは二の次であるという。では、それぞれの絵に込められた思いは、いかに観る人に訴えてくるのだろうか。(全8話中8話)
インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
「壁」ありてこそ(7)命を投げ捨てる覚悟はあるか
偉大な民主主義国家だった時代のアメリカは、「国のために何ができるかを考えろ」と言ったケネディが当選できた。今の日本に、それを言える政治家がいるのか。王岐山が、日本の若手政治家たちに三島由紀夫や太宰治のことを聞いたら、誰もまともに答えられなかったという。日本人は、なぜここまで劣化してしまったのか。国を立て直せるのは、若いときから国の将来を憂い、命を捨てる覚悟で努力してきた人だけである。幕末維新の英傑たちも、あるいは昭和期までの政治家や実業家も、国家のために命をなげうつ覚悟を持っていた。だが今は、本当に国を憂いている人は偉くなれない社会である。教養がなく面白みのない人だけが出世している。こんな社会がダメになるのを防ぐ方法はない。考えるべきは、落ちたあと、どう立ち直るかである。(全8話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
「壁」ありてこそ(6)作品の中に生きつづける魂
価値のあるものを残しておけば、何百年経とうが、才能のある人がその魂を受け取ってくれる。そう思って魂の芸術を集めている。優れた芸術には、作者自身の人となりがすべて入っている。だから『万葉集』を読めば当時の人と会話もできる。この考えは一種の高慢だが、高慢は気概でもある。気概にはいい面もあれば悪い面もある。いいところ取りをしたい戦後は、この気概を潰してしまった。自分が国家のために何ができるのか。愛する人のために何ができるのか。好きな芸術家のために何ができるのか。それを考えるのが人生なのだ。(全8話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
「壁」ありてこそ(5)天皇の人間宣言と三島由紀夫
三島由紀夫は、戦後、マッカーサーの命令で出された昭和天皇の「人間宣言」を嘆いた。そして自らの作品『英霊の聲』で「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし」という叫びを奔出させた。しかし、「なぜ、人間なんかになってしまったのだ」という慨嘆は、あらゆる人にとって正しいことなのである。スペインの哲学者ウナムーノも「人間以上のものになろうと必死に生きて初めて、人間程度のものにしかなれない」と語った。何事も過剰にできる力がないと、ちょうどいい量はできない。今「憂国の芸術」と名付け、芸術のために死んでいった人たちの作品を集めている。過剰な思いで、魂の葛藤をした作家の作品だけが、将来の日本人の心に訴えかけるからである。(全8話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
「壁」ありてこそ(4)そして芸術のみが残った
コロナ禍で世界中が右往左往しているのも、信仰を失った結果である。天皇への尊崇の心があれば、総理大臣も国民に、病気の根絶か経済の建て直しかという選択を迫ることができた。物事をやるには必ず痛みを伴うのに、それを「我慢しろ」と言える人がいなくなってしまった。ここまで来ると、日本人の中に天皇への信仰が復活することはない。日本人の魂を復活させられるのは、もはや芸術しかない。芸術には「自分の人生を捧げよう」と思わせる力が、唯一残っている。(全8話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
「壁」ありてこそ(3)崇高なるものの重要性
19世紀までのヨーロッパ人には神への信仰があった。日本は神の代わりに天皇への尊崇心があった。「日本人の心のふるさと」は田園風景や里山などではなく「天皇」だったのだ。それを失ったから日本人はダメになった。崇高な存在がいないと偉大な社会はできない。人間と動物の違いは自分以外のものに自分の命を捧げられることだが、現代人はそれを失っている。しかも今や、人間はもう中世人が神を信仰したように、何かを信じることはできなくなっているのである。(全8話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
「壁」ありてこそ(2)天皇に対する「畏怖」
執行草舟が子どもだった頃、深く感銘を覚えたのは。当時の日本人たちの「天皇に対する心」であった。共産党員でも西洋かぶれの人でも、天皇の名前を聞けば直立不動になった。天皇に対する尊崇が、日本人の良さを作っていたのである。哲学者の森有正が、サルトルやカミュらとフランス語で対等に議論を交わせたのも、自分の中に「天皇」という根っこがあったからではなかったか。だが今、天皇にそうした思いを抱く日本人はいなくなってしまった。もちろん天皇を「好き」ではあっても、「本当に愛している」と言えるか。(全8話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
「壁」ありてこそ(1)作家との対話が当たり前だった時代
執行草舟が、三島由紀夫との対話などを紹介しつつ、日本における天皇の意味、芸術の意味、西洋と日本の狭間で揺れ動く葛藤の意味などについて語るシリーズ。第1話では、三島由紀夫と16歳から19歳までに7回会って文学論議をした話から、なぜ当時は、真に教養のある立派な人たちがいたかを説き起こす。執行草舟が注目するのは、当時のインテリたちが直面していた、「西洋的な科学技術や教養」と「日本人の魂」との板挟みの葛藤である。江戸期に武士の教育を受けて育った人々は、日露戦争の頃を境に、第一線からどんどんいなくなるが、その次に出てきたエリート層が抱えていたのがその「葛藤」だった。この葛藤があればこそ、立派な見識を磨きえたのではないか。(全8話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
毒を食らえ(8)「平和の代償」について考えよ
周囲に忖度や右顧左眄(うこさべん)することなく、自らの信念を貫き「一人でもやる」ことが重要である。それをできる人が、今の日本に、どれだけいるだろうか。一方、歴史は、ときに興味深い事実を教えてくれる。たとえば、厳格な身分制度で縛られ、「生かさぬように殺さぬように」という年貢の取り立てなどで抑えつけられた江戸時代は、300年近くの平和を実現し、身分制度などを明治維新で解き放って以降の近代日本は10年ごとに戦争をするようになったことだ。ここに大きな文明的示唆がある。(全8話中第8話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
毒を食らえ(7)「消毒社会」は免疫力を失う
昔の日本の子供たちは、たとえ破傷風のリスクがあろうと、恐れずに泥んこ遊びをしていた。また、現在、コロナ対策のために、どこもかしこも消毒をしているが、これが続いたら「免疫力」が落ちて、大変なことになりはしないか。「雑菌」「苦悩」「嫌なこと」にも有用価値があるのだ。人間の組織にしても、「嫌なことのない組織」などつくれるはずがない。それを甘受する生き方を貫くことが大切なのである。(全8話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
毒を食らえ(6)親の「本当の愛」とは何か
ひと昔前の家庭には、強くて怖い親父と慈愛深い大甘の母親がいた。子供、とくに息子は、父を壁とし、母を盾とすることで自らの自我を確立し、成長の糧としていった。また、両親だけでなく、祖母や祖父にも、善悪のけじめを子供に教えるための覚悟があった。なおかつ親は、「軽蔑できない存在」であることが重要であった。このような親の「厳しさ」や「真の愛情」は子供にとっての「毒物」でもあるのだが、それだからこそ子供は自己成長を果たしていけるのである。(全8話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
毒を食らえ(5)信じるものに殉じる覚悟
「そうすれば、結果的に成功するのですね」。このような「成功」や「評価」という結果から逆算する考え方は、間違っている。キリスト教も、本来は「聖書のために死ぬ」というのが基本であった。もちろん、結果として成功することはある。しかし、それは「成功しなくていい」と思っているから起きた結果なのである。「自分が信じるものに殉じる」ことが幸福なのだと考える――これは、かつてカストロやゲバラも持っていた精神だった。だから、あのような生き方には魅力がある。「自分が信じるものに殉じる」という精神を持てばこそ、誰かを恨むような思いも起こらないのだ。(全8話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
毒を食らえ(4)不合理との戦いに勝ち抜く
逆境や不遇のときにどう生きたかが、その人の真価になっていく。目の前の不合理を食うことで、偉大さが身につくのである。たとえば本を1冊書き上げ、出版していく作業は不合理との戦いであり、それに勝ち抜く1つの方法である。一方、ただブログに好きなことを書くだけでは、自己成長は望めない。われわれは妥協せずに戦い、自己の信念を貫いて、愛を全うすべきなのである(全8話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
毒を食らえ(3)「嫌なことの自己化」をする
「毒を食らう」ことを全うするうえで大切なのは「ただ1人で生き、ただ1人で死ぬ」ことだという。その覚悟があるからこそ、自分が信じる生き方を貫き通せるのである。信仰ある者にとって「ただ1人」とはいっても常に自分と神(宇宙の根源)との対話が成立する。それができれば、人の評価は気にならず、幸か不幸かも問わない生き方ができるようになる。ただし、問題はその後である(全8話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
毒を食らえ(2)なぜ宇宙の本質が「愛」なのか
キリスト教にも仏教にも「すべてを捨てよ」と説く厳しさがあった。なぜなら、本当の愛とは、どんな危険にあっても、自らを顧みず、危険を冒して自分のなかの犠牲的精神を発揮することにあるからである。すべての星も、自らの寿命が尽きると、爆発し、死すことによって自分の材料を宇宙空間にばらまき、新しい星の材料を準備する。その自己犠牲こそが宇宙の法則であり、「愛」の本質なのである。そして、その法則を、キリストや釈迦は看破していたのである。(全8話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
毒を食らえ(1)コロナ時代の無毒化を憂う
「毒を食らえ」とは何か。それは、自分にとって「嫌なもの」「つらいもの」「厳しいもの」を、自らのなかに取り入れて、成長していくことである。ミケランジェロは「私は普通の人間が死ぬであろうほどの毒物を食べることによって、それを自分の糧としてきた人間である」と語ったという。また、乃木希典は息子がニンジン嫌いだとわかると、ニンジンだけを食べさせて克服させたという。むしろ「毒抜き」をすると、身体も精神も弱ってしまうのである。(全8話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(10)本と学びと人生を愛する力
本を買ったのでお金がない。本が積み上がって置き場がない、床が抜けてしまう……。本は、所有者を困らせることばかり。しかし、だからこそ、本の所有者は、本によって「自分の人生を愛する力」を手にすることができる。「この本を買ったのは、いつ頃」「あの本を読んだのは、こんなときだった」など、思い出を本と共に蓄積していくことができるからだ。便利さを追求する生活は人間から知性を除き、ひいては愛も抜いてしまう。逆に、西田幾多郎も喝破したように、知性の極まるところが愛なのである。そして、読書や学びは、死ぬまで尽きせぬ楽しみを与え続けてくれるのである。(全10話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(9)本は自分で所有する
渡部昇一先生の書籍に対する根本的態度は、「本は自分で所有する」ということだった。電子書籍よりも、紙の本がいい。自分が必要だと思ったら、自分の本なのだから、赤線を引いたり、書き込んだりすることをためらわない。そうやって読み込んだ本を自分の書棚に入れておけば、それが「自分の頭の外部化」になる。つまり、そうすることで、もう一回読み返したときに、「あのとき自分はこんなことを考えてたのだ」と思い出せるのである。さらにいえば、本は、たとえ読まなくても、書棚に並べておくだけで知性を身につけることができる。それは、なぜなのか。(全10話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(8)芸術の「特性」とは何か
20世紀の大ピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタイン。彼の自伝は、『チャップリン自伝』並におもしろい。彼は若いころ遊びまくり、数多くの武勇伝を残してきた。だが、第二次世界大戦を機に、音楽の深みが増していく。その1つの理由として挙げられるのは、ルービンシュタインが、ポーランド出身のユダヤ人だったことである。多くの在ポーランドのユダヤ人たちがナチスドイツに虐殺された悲劇は、彼にとっては生涯忘れられないことであった。また、芸術の特徴を決めるものとして、「人間の器」のほかに「血」の部分もある。ロシア人の音楽や文学は、やはりロシアならではのものである。(全10話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(7)乗り越えて掴む「明るさ」
チェリストの巨匠フルニエは、演奏家がつらい練習を何百回、何千回も重ねるのは「優しい人間になるため」だと語ったという。この言葉は、勇気を与えてくれる。「自分が成功するため」といった直接的なことよりも、もっと内面的な目標なり、結果を示してくれる言葉だからである。たしかに、「自分が成功するため」ということを究極的に求められる「コンクール」全盛時代になってから、音楽家はダメになったようにも思われる。カフェやバーなどで演奏するところからはじめて、なるべくして大演奏家になった人たちのほうが、「力」も「心」もはるかに高いものを持っていたのではないか。(全10話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(6)先祖信仰とカトリック
カトリックは、キリスト教への信仰のなかから「魂の不滅」を掴む。一方、古来日本人は、「先祖が見ている」「子孫からも恥ずかしくない先祖になれ」というような考え方を通して「日本的な魂の不滅」を実感していた。渡部昇一先生には、その両方の感覚が色濃くあった。渡部昇一先生は、むしろ、カトリックに飛び込んだことによって、より客観的に「日本的な魂の不滅」を捉え直したのではないか。キリスト教の「ゴッド」と日本の「神」は異なるが、先祖崇拝をしている日本人ほどキリスト教や「ゴッド」を理解しやすいものである。そして日本人は、外国人の著作でも、キリスト教に立脚しつつも仏教的な感覚を帯びたものを愛するのである。(全10話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(5)勇気を持つには何が必要か
激しい論争にも臆せず突き進み、反対派の抗議運動の闘士たちに、大学での講義で毎時間突き上げられても絶対に折れなかった渡部昇一先生。自宅にも脅迫状や電話が舞い込んでくる。しかし渡部昇一先生は、自身の心の中で『菜根譚』の「雁寒潭をわたる」という言葉を唱えて、どれほど厳しい局面に立たされているのかを家族にも悟らせなかった。どうして、そんな強さを持つことができたのか。それを考えていくと、「天と向き合っている」姿が浮かんでくる。(全10話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(4)その刻苦勉励の姿
渡部昇一先生は、名著『知的生活の方法』をはじめ、知的生活でいかに自分を伸ばしていくか、どう向上していくべきかについて、数多くの本を遺した。それらの本は、いまでもわれわれに、人生への重要なヒントを語り続けているが、渡部昇一先生ご自身は、いかに刻苦勉励されていたのだろうか。家族の目に映ったその姿を聞いていく。さらに、渡部昇一先生は、いかに運命を切り拓いていったのかにも迫る。(全10話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(3)直観力の根源とは?
あるときは、エーゲ海を泳いで西洋文明と日本文明の違いを悟った渡部昇一先生。またあるときは、自慢の最新式のオフィスを見て、「これは上司は楽でいいですね。監視しやすいから」と喝破してみせた渡部昇一先生。さらに子どものころの玄一氏が「ソビエトって怖いんでしょ?」と聞いたら、「いや、あの国はそんなに遠い未来じゃないうちに潰れてなくなるよ」と答えたという。その類いまれなる「直観力」は、いかに生まれたのか。その謎に迫っていく。(全10話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(2)運命への愛と夢の実現
渡部昇一先生は、「運命を愛する」人間であった。だが同時に渡部昇一先生は、若い頃、大島淳一名義で翻訳していたジョセフ・マーフィーの『眠りながら成功する――自己暗示と潜在意識の活用』が唱えていた「イメージすることによって潜在意識に働きかけ、希望を現実化する」手法を、自分自身で実践していた。その1つが、恩師に憧れて胸に抱いた「書庫を持つ人間になる」という希望を、実際、思い続けて実現させたことである。そこには書庫を持っていた恩師への「愛」があったことも大きい。また思想的に深く影響を与えた体験に、エーゲ海で泳いだことがある。ここで「エーゲ海の悲しみ」を感じ、「明朗」という思想を体得することになったエピソードが語られる。(全10話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
渡部昇一に学ぶ教養と明朗(1)「温かい家庭」という衝撃
渡部昇一先生の長男である渡部玄一氏(チェロ奏者)と、渡部昇一先生の著作を読み尽くしている著述家の執行草舟氏が、渡部昇一先生の思い出を語らいながら「教養」と「明朗なる人生」について考察を重ねていく珠玉の対談。渡部玄一氏が父の思い出をつづった書籍『明朗であれ』は、エッセイで重要な「上手に思い出す」ことができていて、非常に美しく温かみを感じると執行氏は言う。これに対して玄一氏は、亡父の底抜けな明るさの理由を考えたくて、「明朗である」という主題をつくり、思い出をまとめていったと語る。なお、この対談は、渡部昇一先生が膨大な蔵書を収めるために精魂込めて建築した書庫で行われた。(全10話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(14)「素直な心」が強さを創る
「真のやる気」について長い時間を語り合った末に、執行氏と田村氏がたどりついたのが「他者のために生きる」「素直な心」というキーワードだった。日本の根幹にある「他者のために」という心を取り戻せば、自らの使命が明確に見えてくる。「素直な心」があれば、自分の宿命を受け入れ、背負うことができる。そして、そこから真のやる気、真の勇気が湧き上がってきて、自分の人生を力強く歩めるようになるのだ。(全14話中第14話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(13)自由と勇気の源、不安と臆病の源
企業で働く人も、経営者も、官僚や政治家も、みな幸せになりたいと願うことで幸福病になっている。結果、人は臆病になり、少しのリスクも許容できなくなるという。そうなれば当然、勇気は湧いてこないばかりか、幸せにもなれない。だからこそ、逆説的ではあるが、現代の日本人に必要なのは、失敗する覚悟であり、不幸を受け入れる覚悟なのだ。(全14話中第13話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(12)業績と幸せは両立できる
アメリカはなぜ無謀ともいえる独立戦争に挑んだのか。彼らを戦いに駆り立てたのは、可能か不可能かという判断ではなく、「自由か、然らずんば死か」という覚悟に他ならない。同じく、高知キリン支店は、2700軒の飲み屋を回るという一見不可能な課題に挑戦したが、結果、見えてきたのは、「お客さんのため」と考えてどんどん工夫をし、勝ちつづけて、そこに自分たちも強烈な幸せを感じるという好循環だった。会社の利益と個人の幸福は両立できるのである。(全14話中第12話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(11)生き方ではなく、死に方を考える
いかに生きるべきかを考えるのが文学だが、生き方は「死に方」を定めなければはっきりしない。「自分はいかに生きるべきか」ばかりを考えていると、エゴイズムに陥ってしまう。一方、「死に方」を考えると、「誰かのため」ということが自ずから出てくるものである。また、昔の日本人が持っていた死生観、アンドレ・ジードの小説に通底するテーマ、そしてパナソニック創業者の松下幸之助の凄みを見ていくと、単なる「知性」だけでなく、それと共に、理念を自分の腹に落として断固として行動していく「野獣性」が大切であることもわかってくる。エゴイズムに陥らない「真のやる気」を探る。(全14話中第11話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(10)旧制高校出身者がいた時代の良さ
キリンビールの現場にいた田村潤氏は、ちょうど日本がバブルに沸き立つ前後から、社内会議の質が急激に低下するのを実感したという。それ以前と以後の違いは、「旧制高校出身者の有無」だった。執行草舟氏はその事実を、文学と哲学の喪失と指摘する。文学のない「やる気」は、振り込め詐欺のような、浅ましいものに直結しかねないのだと。果たして、現代日本に生きる私たちのとるべき方策とは?(全14話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(9)問題を切り捨てず、受け入れよ
企業も人も「良い部分」だけ残して、「悪い部分」を切り捨てるのでは大成しない。あの西郷隆盛もまた、親の借金から逃げずに、生涯をかけて返済しようとしたそうだ。組織が窮地に陥ったとき、逃げずに宿命を背負う覚悟のある人だけが、運命を動かすことができる。
(全14話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(8)必要なのは「自由」と「気高さ」
田村潤氏は、よく、「なぜ部下たちの心に火がついたのですか」と聞かれるという。2人の対談から見えてきたことは、「真の自由」そして「気高さ」を徹底的に部下に与えていたことである。それはいずれも、どこまでも「理念」を追及したから現出したものであった。現代的にいえば、安全、安心で危険のない状態こそが幸せなのかもしれないが、そこからは本来、気高いはずの人生は見えてこない。自由を求めたアメリカの独立戦争、あるいは国のために日露戦争を戦った人々にあって、私たち現代人にないものは何だろうか。(全14話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(7)真のやる気は「根っこ」から
宿命の「汚い部分」「嫌な部分」に真っ正面から体当たりしないと、自己信頼には至れず、運命も切り拓くことができない。それは「日本の宿命」を考えても同じである。成果主義、企業統治改革、西洋合理主義、はたまた明治時代に輸入した法律など、本当の意味で「日本人の身の丈に合わないもの」を取り入れたところで、もたらされる結果はマイナスになることが多いのである。失われたものを取り戻す「精神の復活」なくして、国もビジネスも人も理念を掴むことはできない。(全14話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(6)どぶ板営業の徹底で理念が生きた
組織というのは、決めたことをやり切ることで初めて成立する。それにもかかわらず、田村氏が支店長として赴任した高知支店は、実行力のない中途半端な状態だった。そんな中、「家に帰るな」「眠るな」という一喝によって、組織は徐々に良い方向に変わっていく。高知支店の奇跡は、厄介なもの、ドロドロしたものを徹底したからこそ、美しい理念をストンと腹に落とすことができ、人生を好転させることができた好例といえるだろう。(全14話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(5)自分の「短所」は「長所」でもある
物事には良い部分と悪い部分がある。それは企業も人も同じで、ついつい悪い部分、弱点の補強をしたくなるものだ。しかし、良いものと悪いものは表裏一体で、同じものをどちらから見るかの違いにすぎない。だから、悪い部分を潰そうとすると、良い部分まで消し去ってしまう。良い部分、悪い部分を一体のものとして捉え、分析的ではなく、総合的に考えることで初めて、物事は動き、道は開ける。(全14話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(4)蓮の花は泥沼の中から咲いてくる
「本社の方針が間違っている」「上司が悪い、許せない」と愚痴をいうのはビジネスパーソンの常かもしれない。しかし、それだけでは真のやる気は生まれない。宿命というのは、決して美しいだけのものではなく、その裏には汚さや悪い部分がある。それすらも認め、受け入れなければ、「きれいごと」など誰も信用しないし、実現しない。きれいなものを実現するためには、汚いことを、責任を持って飲み込まなければいけないのである。(全14話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(3)大企業病脱却のための処方箋
あらゆる組織が罹患する可能性のある大企業病。その例外ではなかったキリンビール高知支店は、いかにそこから這い上がり、V字回復したのか。そこには、自分たちの土台に立脚し、運命を感じて、主体的に動いていったプロセスがあった。1人ひとりが自分の宿命を受け入れたからこそ、自分の運命を主体的に動かすことができたのである。(全14話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(2)エマーソンの「自己信頼」に学べ
「真のやる気」というものは、簡単そうでいて、実は簡単ではない。そのことを考えるのに参考になるのが、アメリカの詩人で哲学者のラルフ・ウォルド・エマーソンが説く「自己信頼」の考え方である。エマーソンの「自己信頼」は、アメリカ・プロテスタンティズムに立脚したものだが、これは日本の武士道とも濃厚な共通点がある。「下品なやる気」にならないために必要な「歴史を重んじる精神」について取り上げる。
(全14話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
真のやる気とは何か(1)キリンビールに受けつがれる武士道とは?
実業家であり著述家でもある執行草舟氏と、元キリンビール副社長の田村潤氏が、「真のやる気」について語り合う。田村氏はキリンビールが、アサヒビールのスーパードライに押されて最も苦戦していた時期に高知支店長となり、現場のやる気を高めてシェア奪還に成功。その後、四国4県、さらに東海地区でも営業責任者として実績を上げ、キリンビール代表取締役副社長になった。なぜ、どのようにして現場のやる気を高めることができたのか。その背景には、キリンビールの原点に息づいていた武士道精神があった。その精神があればこそ、キリンビールのやる気は下品ではなく、品格があるのである。キリンに脈々と引き継がれる「ただひたすらにおいしいビールをお客さまのために」というロマンの源泉に迫る。(全14話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
伝染病と死生観(7)自分の宿命を知ることが人生の喜び
「自分の宿命がわかることが人生の本当の喜び」という言葉があるが、これは「わきまえがある」ということでもある。貧しさも受け入れれば、貧しいなりの幸せがある。自分の出身、自分の基礎能力などといった「宿命」を受け入れ、愛することが大切なのである。また、上に立つ人間が立派になりうるかどうかは、偉大な宗教や思想が国にあるかどうかに左右される。たとえばトラファルガーの海戦で活躍した名将ネルソンは、自分は海軍軍人として「国家のために命を捨てる」と子どものときから覚悟を固めていたからこそ、破天荒で自由に生きられたのである。(全7話中第7話)
※インタビュアー 神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
伝染病と死生観(6)「わきまえ」があることの大切さ
昔の人はみんな死生観を持っていた。「家族に囲まれて、畳の上で死にたい」「夫婦そろって同じ墓に入る」というのも一つの立派な死生観で、この死生観が、人生の最後で振り返ったときに「まあ、良かったんじゃないか」と思える基盤となっている部分も大きかった。今は「幸福にならなければ」「成功しなければ」という、強欲で「はしたない夢」を追うから、人生がつらくなる。「人生は不条理で当たり前」と思えば、わきまえも出る。わきまえがあり、「身の丈」がわかっていれば、その人なりのいい人生を送れるようになる。(全7話中第6話)
※インタビュアー 神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
伝染病と死生観(5)魂は永遠で、肉体は借り物に過ぎない
武士道も仏教も禅も、すべては「無常」の哲学を表したものである。般若心経も「人間は死ぬ存在で、もともと何もない」という死生観を語っている。信者が次々に磔(はりつけ)になった原始キリスト教も、「死を思え=メメント・モリ」が中心思想だった。だが、死んでも魂は永遠であり、肉体が朽ちても魂は永遠に生き続ける。魂を鍛えるために人間は生まれ、そして死んでいく。武士道も多くの宗教も、そう考えてきた。そう考えれば肉体に固執せず、体当たりして生きる生き方もできる。(全7話中第5話)
※インタビュアー 神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
伝染病と死生観(4)政治家は自国の伝統的哲学に立脚せよ
政治家は、新型コロナ対策と称して、全国民に1人10万円お金をばら撒いた。だがこれは、悪い仲間を募るときに皆にお金を渡すのと同じ。要は、国民全員を共犯者にしたいのである。「お前たちももらっただろう」といって、最終的に政治家に責任が来ないようにしたいのだ。こうした政治になるのは、日本の政治家に哲学がないからである。政治家は、自分の国の伝統に則った哲学を身につけ、自分の国の古い言葉を発しなければいけない。フランス革命期にずる賢く生き残った政治家ジョセフ・フーシェも、その心の中にはキリスト教の「まこと」があったのである。(全7話中第4話)
※インタビュアー 神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
伝染病と死生観(3)すべての悪は弱さから来る
国民にこれだけ自粛を強いれば、コロナが収束しても日本人の生活は元に戻らない。テレワークの普及で働き方も変わるが、これについても政治家や官僚が何を考えているか見えて来ない。あらゆることでこれまでの流れをぶち壊した以上は、二度と元には戻らない。しかし政治家たちは、大きな変化にオロオロしているだけ。これは、水際対策を決断できなかった自分たちの失敗から逃げているから、また、死を覚悟して事に当たっていないからだ。フランス革命の革命家・ロベスピエールも、死ぬ覚悟で立ち上がった。また、民主主義の最初の思想家ルソーも「すべての悪は弱さから来る」と言った。まさに今の状況を言い当てている。(全7話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
伝染病と死生観(2)腹を切る覚悟で断行せよ
新型コロナウイルスを水際で止められなかったのは、政治家が、批判されて「腹を切る」羽目になることを怖がったからである。「伝染病を食い止めるのが俺の死に場所」と政治家が覚悟し、強権を発動すれば今のような事態にならなかった。今、まず政治家に求められるのは失敗を認めて責任を取る覚悟を固めること。そして、経済を止めず、全国民に10万円を配るより、12兆円を医療に投ずることである。国家権力は、そのような断行ができるはずである。(全7話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
伝染病と死生観(1)逃げ惑う現代人
執行草舟が新型コロナウイルスの流行を背景に、死生観について語るシリーズ講義。これまで人類はペストという国民の3分の2が死ぬような伝染病にも立ち向かい、乗り越えてきた。だが今や人類は、まるで腰抜けのように伝染病に右往左往している。新型コロナウイルス対策で行われている「人と話すな」「近づくな」は、人類が築いてきた文明や社会を総崩壊させる。求められるのは病気という不条理を受け入れることで、それには「死」を前提に考えることが必要である。(全7話中第1話)
※インタビュアー 神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
民主主義の根源とは(6)絶対者なき民主主義は手前味噌
民主主義という制度を作り出した最初の1人である古代ギリシャの政治家・ソロンは、「我々は人間なのだから、人間のことを思わなければいけないと言う人たちに従ってはならない」という言葉を残したと言われる。自分たちで自分たちのために政治を行ったら「手前味噌」で際限がなくなってしまうのだ。かつて、ヒューマニズムや民主主義は「神中心の考え方」や「絶対王政」に対抗するものだったが、絶対者や王がいなくなった世界で、民主主義はまさに「烏合の衆による、自分たちのご都合主義」になってしまった。餌にありつこうとばかり考える人たちには、決して民主主義はわからないのだ。(全6話中第6話)
民主主義の根源とは(5)大切なものを命懸けで守る覚悟
武士道も騎士道も、大切なものを守るために成立した武力であった。そして民主主義も、民主主義のために命を懸ける人がいないと成立しない。だが、今の人間は「命が一番大事」になってしまった。日本人もそうだが、救いは日本人の中に道徳心が残っていること。日本人の中で武士道的なものが甦ってくれば、民主主義も機能し、日本の復活も可能になるかもしれない。自由な発言をしやすい独立企業家は、本来、命懸けの行動もしやすい。しかし、残念ながら今の商売は金儲けだけに流れてしまっている。(全6話中第5話)
民主主義の根源とは(4)傲慢さが民主主義を破壊する
日露戦争と昭和の戦争とでは、科学性や知性の基盤がまったく違う。そうなってしまったのは、日本人が謙虚さを失ったからであった。議会制民主主義の最盛期を築き上げた19世紀の大英帝国も、貴族であれ庶民であれ、誰もが負い目を持ち、幸福ではなかった。だが、それが議会制民主主義をうまく機能させることにつながったのである。イギリスの国力が衰えたのは大衆民主主義が行き過ぎ、さらにはキリスト教も失った結果である。(全6話中第4話)
民主主義の根源とは(3)命懸けの2万人がいたからこそ
良心を失ったら、民主主義は情熱のない無分別なものになってしまう。19世紀のイギリスで民主主義がうまく機能したのは、自分の思想に命を懸けられる2万人のジェントルマンがいたからだ。そして、同様に日本には自分の思想に命を懸ける2万人の武士がいた。19世紀の大英帝国と対等な条約を結んだ国は、世界でも日本だけだったが、これは英国の騎士道を貫くジェントルマンが日本の武士道を深く信頼していたからなのだ。だが、第一次世界大戦で漁夫の利を得たことで、日本人は傲慢になってしまった。これがその後の日本をおかしくした。(全7話中第3話)
民主主義の根源とは(2)人間が神になった社会の危険性
よく知られているようにアメリカ合衆国を生んだのはプロテスタント信仰だった。神の代理人たる教会から免罪符をもらえるカトリックと違い、プロテスタントは一人ひとりが神と対面する。そしてプロテスタントと同様の良心を持つのが武士道であった。このような道徳的基盤がある社会では民主主義は機能する。だが、最近の欧米人は良心を失い、その結果、民主主義の餌ばかり貪り食う人々ばかりになり、大衆迎合の民主主義になってしまった。(全6話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
民主主義の根源とは(1)民主主義は宗教から起こった
執行草舟が民主主義の根源に迫る、全6話シリーズ。世界中が民主主義となった現代では、「民主主義を知ること」は人生をよく生きるうえで必要不可欠である。今の日本人は民主主義を「甘え」に使ってしまっているが、本来は「自分たちが主体的に生きるため」に使うべきものなのである。それはなぜかといえば、民主主義はもともと宗教から出てきたものだからである。神を認めつつ、「少し」は神から自由になってもいいという考えから生まれたものが民主主義なのだと理解することが、まず大切なのである。(全6話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
崇高と松下幸之助(1)崩壊した哲学、宗教、国家
世界で一番頭が良いと言われているマルクス・ガブリエルの考え方は、間違っているのか。また、我々の宗教への理解は間違っているのか。人間と哲学、宗教、国家との歴史的な関わりを紐解きながら「崩壊した哲学、宗教、国家」の真の意味に迫る。(全8話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(公益財団法人松下政経塾 副理事長)
崇高と松下幸之助(2)文明と原始キリスト教
人類は今の文明の崩壊を迎えようとしている。松下幸之助はこのことをPHP理念の中で予言していた。では、なぜ崩壊してしまうのか。また、そもそも文明を創った正体とは何であったのか。ギリシャの哲学者であるソロンの言葉や原始キリスト教の思想を紹介しながら、文明のあるべき姿に迫る(全8話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(公益財団法人松下政経塾 副理事長)
崇高と松下幸之助(3)崇高さと人間とは何か
松下幸之助が求めたものは「崇高さ」であり、「崇高さ」の一番分かりやすい例は原始キリスト教だと執行先生は指摘する。原始キリスト教は、「自分の命よりも大切なものがある」という考え方が根本にある。では、自分の命以外に何を大切にしたのか。間違った方向に進んでいる現在のキリスト教と原始キリスト教の違いをもとに、宗教の本来的な意味について語る。(全8話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(公益財団法人松下政経塾 副理事長)
崇高と松下幸之助(4)偉大すぎた松下幸之助
偉大になりすぎた松下幸之助は、国家の看板になり、「良い人」としてしか振舞うことができなかった。一方で、「崇高」を求めた彼は、孤独でもあった。そのことは、松下幸之助と魂で触れ合うことができる執行先生にはよくわかる。「良い人」とはどのような人なのか、なぜ魂で触れ合うことができるのかについて執行先生が語る。(全8話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(公益財団法人松下政経塾 副理事長)
崇高と松下幸之助(5)不良性とコンプレックス
「不良性」とは悪い意味だけではない。また、今の時代の金髪でロックンローラーはなぜ不良とは言わないのか。時代によって変わるそれぞれの価値観について、19世紀のヴィクトリア朝と明治の日本について考察を加えながら解説する。(全8話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(公益財団法人松下政経塾 副理事長)
崇高と松下幸之助(6)経済破綻とこれからの日本
ほとんど褒められたことがなかった執行先生では褒められることが多くなってきている。それは、時代が追いつきつつあると同時に世界が破綻へと向かっていることの証でもある。また、日本は緩やかに鎖国をしていくべきだと執行先生は主張するが、なぜなのか。世界と日本を比較しながら、これからの日本人のあるべき姿に迫る。(全8話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(公益財団法人松下政経塾 副理事長)
崇高と松下幸之助(7)自由度と幸福
執行先生は「商売を何のために始めるのか」について深く考え、その志を実現させるために商売を行うべきだと指摘する。松下幸之助も執行先生と同じように高い志があったが、松下幸之助の場合、商売が大きくなりすぎたため、「自由度を失う」という結果を招いてしまった。(全8話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(公益財団法人松下政経塾 副理事長)
崇高と松下幸之助(8)現代人と執行草舟
現代人の脳は、既にAIよりも劣っているかもしれないと執行先生は指摘する。また、そのような現代人に必要なものは、武士道精神であり、「不幸になる」ことが大切だと語る。その本当の意味と、武士道精神を貫いている執行先生の生い立ちとはどのようなものだったのかについて紐解く。(全8話中第8話)
※インタビュアー:神藏孝之(公益財団法人松下政経塾 副理事長)
人間的魅力とは何か(1)魅力ある人がなぜ消えたか
人間が何かを成し遂げる上で最も重要で本質的なのは、勇気である。それを教えてくれた小林秀雄を中心に、1980年代頃の知識人はみな魅力があった。知識人のみならず、正直に生き、仕事に命を懸ける市井の人々も、皆、魅力的だった。だが、今やそのように魅力的な人にはなかなか出会えない。文学も哲学も思想もなく、ましてや武士道などお呼びではない人々ばかりになってしまった。(全8話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
人間的魅力とは何か(2)世間話がおもしろい人の魅力
村松剛は身内や家族をとても大切にしていた人で、だからこそ、その世間話は絶品におもしろく、新鮮だった。女性も、昔はとても強い存在だった。いずれも、きれいごとをいわず、本音で生きていたからである。本音で生きることも、勇気の一つなのである。(全8話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
人間的魅力とは何か(3)日本人は、今や我利我利亡者だ
今、日本人は「幸福病」になってしまった。どこまでも経済成長したい、成功したいという欲望ばかりで生きているように見える。しかし、かつて宗教者たちは、「自我を捨てよ」と説いてきた。なぜ「自我を捨てるのか」。哲学的に苦闘してきた執行氏は、「真の幸福とは、他人に対して願い、祈るものだ」と気づく。「自分の幸せ」ばかりを際限なく求めるありかたは、「我利我利亡者」なのである。(全8話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
人間的魅力とは何か(4)「豊かさ」の本質
戦後、日本国民が餓死の危機に怯えるほど窮乏していた時期に、松下幸之助は「繁栄による平和と幸福(PHP=Peace and Happiness through Prosperity)」という標語を掲げた。だが、もし現代に幸之助が生きていたら、「心を豊かにする」すごい産業を思いついたのではないか。天才は、その時代に何が求められているのかがわかるのだ。そして、「何が必要なのか」が見えるからこそ、物事に際限を設け、上限を打つことができる。そうでなければ、第3話でも論じたように、人間は「我利我利亡者」に堕してしまうのである。(全8話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
人間的魅力とは何か(5)渇望する魂に叫べ
ダグラス・マレーというイギリスのジャーナリストが書いた『西洋の自死』という本には、「人間から渇望感がなくなったから、経済や世界がダメになった」ということが書いてある。本当に素晴らしいものになろうと思ってもなれず、枯渇感を抱き、呻吟することこそ、人間の人間たるゆえんである。本当に大切なのは、そのような「魂の問題」であり、「自分の命より大切なものに、向かって生きる」ことなのに、なんでもかんでも経済や金融の問題に収斂(しゅうれん)させようとするから、道を誤るのである。(全8話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
人間的魅力とは何か(6)捨てることの大切さ
損切りをするのは、とても難しい。特に、まだ「完全な失敗」だと決まってはいないものを捨てる決断をするのは至難の業である。だが、そこで勇気を出して損切りをすればこそ、新しい幸運を招き寄せることができるのである。さらにいえば、昔は「人生はつらいものだ」と強調されていたので、かえって人生を楽しいものだと思うことができた。一方、現代では「人生は素晴らしい」などとばかりいっているから、かえって壁に直面するとすぐに心を病むような事態に陥ってしまうのだ。(全8話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
人間的魅力とは何か(7)大家族主義の美点とは
昔の日本では、長男は地元の師範学校に進んで地元の学校の先生などになり、たとえ次男以下が東京大学を出て偉い官僚になろうとも、長男には頭が上がらなかった。また、生活水準は親程度でいいが、「人間的に伸びたい」という欲求を持っていた人も多かった。そのような点が、実は「大家族主義」の素晴らしいところだったのである。そのことを、いま日本人は思い出す必要がある。(全8話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
人間的魅力とは何か(8)すべてを「自分のせい」にせよ
マイケル・ヤングの『メリトクラシー』という本を読んで、なぜビクトリア朝が素晴らしかったのかがわかった。あの時代は、皆が「負い目」を持っていたというのだ。たしかに、「負い目」を持って、なおかつすべてを「自分のせい」にし、「克己心」を持って挑んでいくところから、素晴らしいものが生まれてくるのである。(全8話中第8話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
人間的魅力とは何か(特別篇1)民族の「魂」を呼び覚ませ
執行草舟は、「人間の魂を本当に伝えられるものは、残っている芸術作品だ」という信念に基づいて、書画を蒐集している。その作品から、作者の魂が確かに伝わってくるのである。この「特別篇」では、そのようにして集められた芸術作品を見ることを通して、山岡鉄舟、白隠、そして、その他の人々の本質に迫っていく。(全4話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
人間的魅力とは何か(特別篇2)死期を悟った日本男児たち
山岡鉄舟は、皇居に向かって座禅を組みながら亡くなったという。自分の死期を悟っていたのである。しかも、鉄舟の書が数多く残っているのは、廃仏毀釈で苦しんでいる仏教寺院を救うために、書を売ったお金を充てていたからであった。そのように崇高な武士の魂が、たしかに鉄舟の書からは伝わってくるのである。(全4話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
人間的魅力とは何か(特別篇3)心意気あふれる白隠禅師の書
白隠は自分一人だけの禅を貫きながら、周りの人々に「南無地獄大菩薩」などと記した書を与えていた。「これを拝めば救われる」と、御札代わりに渡していたのだ。その白隠こそが、臨済宗の禅の中興の祖となった。そんな白隠の生き方、そして彼の書から、「人間一人の力」の偉大さが伝わってくる。(全4話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
人間的魅力とは何か(特別篇4)執行草舟コレクションを見る
執行草舟のコレクションには、山岡鉄舟や白隠ばかりでなく、高橋泥舟や近藤勇、三島由紀夫などの書、さらに安田靫彦の絵画など、数多くの名品が含まれている。それらの書画に間近に接しながら、各々の人物に想いを馳せ、いまわれわれが受け取るべき「魂」を探っていく。(全4話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
読書と人生(1)「命懸けの読書」とは何か
執行草舟は小学生のころ、1行もわからないのに、岩波文庫のカントによる『純粋理性批判』を読み通したという。当時は、結局カントはわからなかったものの、他の本が易しく思えてしかたがないということを経験した。しかも、時が経つにつれて、当時はわからなかったことも、「わかる時期」が来るという。なにより読書を「当事者」として実践することが大切なのである。そうすれば、おのずと「行間」も読めるようになってくる。(全10話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
読書と人生(2)「本当のことが書いてある本」の価値
本は「本当のことが書いてある本」を読むべきだという。つまり、ある1人の人間が、本当に信じたことを書いた本を読め、ということである。ヒトラーの『わが闘争』にせよ、マルクスの『資本論』にせよ、あれほどの人を巻き込んだということは、それだけの力が内在しているということなのである。それをあえて看過するのは、歴史に押しつぶされた「文明の疲弊」である。(全10話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
読書と人生(3)「笑顔のファシズム」を越えてゆけ!
日本では、たとえば「戦争肯定」の話をすると、それだけで吊し上げられてしまう。だが、これは「ファシズム」であり、スターリンの所業と、その本質において変わらないのではないか。実はイギリスのジェントルマン教育の目的は、「ただ1つの哲学を持つ人間をつくる」ことだった。そして、自分でその発言に対する責任を取りさえすれば、どんな考えを持ってもよいとされていたのだ。(全10話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
読書と人生(4)読書だけが運命を知っている
いい人生を送った人とは、自分の運命だけに体当たりした人である。だが、自分の人生は誰にもわからない。だからこそ、読書をし、過去の偉い人もそうしてきたと知ることで、「自分もやるぞ!」という勇気を得るのである。そのためには、本に没入し、実践し、突進して、自分自身で突破していくしかない。(全10話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
読書と人生(5)読書の根本は神秘との対面
昔の人間は、わからぬものは、わからぬままに受け入れた。夫婦でも、「男は女をわからない」「女は男をわからない」と考えていたからこそ、かえって離婚も少なかった。だが、いまは、みんな賢しらで「わかった」と思い込み、思いどおりにならなければ、投げ捨ててしまう。そもそも、他者の魂など、そう易々と「わかるはず」がないのである。魂をわかるためには、体得するしかない。そのためには、自己責任の体当たりで向かっていくしかないのである。(全10話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
読書と人生(6)読書人がバカにされる時代
現代社会では、価値の主客転倒が起こり、読書人がバカにされるようにさえなった。だが、読書人がいなくなるということは、人間が「魂」に対する興味を失ったことを意味している。そして読書をしなくなったから、人間社会はヒューマニズムという化け物に喰われてしまうことになった。ノートルダム寺院の火災後に現われた状況は、欧州の魂が死んでしまったことの象徴である。そしてそれは、実は内村鑑三が予言したとおりだったのだ。(全10話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
読書と人生(7)人間は、「混沌」を持つ存在である
第5回で、「読書の根本は、神秘に対面すること」と説いたが、この「神秘」はすなわち「混沌」でもある。「混沌」とは、「理論では解明できない1つの持続した思考」である。そのような「混沌」があることが、人間の人生が尊い唯一のいわれだと、執行草舟はいう。また、あらゆる能力において人間を上回るAIが、どうしても人間に敵わないことこそ、「混沌」なのだ。「混沌」を否定する人は、単細胞になる。読書は、このような「混沌」を養うためにも不可欠なのである。(全10話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
読書と人生(8)合理性こそが愚かしい
あまりにキリスト教に血道を上げたためにイギリスとドイツに追い抜かれた国・スペインで、いまや教会の鐘が鳴らなくなった。騒音問題で訴えられたのだという。まさに社会がきれいごとに押し潰されているのである。これを打開するためには、「人生を捨てる」ような人物が必要だろう。そもそもキリスト教は、「すべてを捨てよ」と命じるような宗教であった。そして日本でも、内村鑑三の生き方が、大きくわれわれに訴えかけてくるのである。(全10話中第8話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
読書と人生(9)「護憲論者」に転じた理由
かつて憲法第9条に反対論を唱えていた執行草舟は、近年、憲法9条護持論者になったという。その理由は、日本があまりにも「自立」からかけ離れてしまったからである。江戸時代の武士たちは、刀を抜いたら切腹であった。抜けば切腹のもの持たせる。それが武士道なのである。だが、今の国民性では、核や軍隊を使ってしまいかねない。また、今の行き過ぎた「いじめ根絶」「パワハラ根絶」「働き方改革」などは「インパール作戦」と同じでもある。これでは危うくて仕方がない。(全10話中第9話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
読書と人生(10)思想とは破壊である
「怖さ」「恐ろしさ」がないものはダメである。成長のもとは「恐怖」なのだ。そもそも、すべての思想は破壊である。破壊されなければ建設はない。プラトンやアリストテレスから、ニーチェまで、みんなそうである。文学も、たとえばドストエフスキーなどは、読んで自殺を選んでしまう人まで出てくる。破壊されて挫けてしまうのなら、それはそれで諦めるしかない。それを恐れたら、何もできない。破壊され、落ちたところから、血のにじむような努力で這い上がっていく。それが思想であり読書なのである。(全10話中第10話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
魂の芸術(1)戸嶋靖昌との運命的出会い
執行草舟は、画家・戸嶋靖昌の「街・三つの塔-グラナダ遠望-」という絵を見て、この画家にぞっこん惚れ込み、肖像画の制作を依頼した。なぜ惹かれたか。それはその一枚の絵に、800年間の悲しみが沈み込んでいると感じ、空気中や地中にある人類の涙を絵に描ける人間であることがわかったからであった。本当に人間の魂を「賦活」できるものは、いまや芸術だけである。真の芸術だけが、哲学者・ハイデッガーの語る「時間化」作用のようなものを具現化できるのである。(全10話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
魂の芸術(2)命を燃やした芸術
人間は「命懸け」のものに感動する。銀行強盗を描いた映画でも、その命懸けの姿を見せてくれるものは、感動するのだ。古来、大宗教家たちは、「俺のために、お前が死ね」と言えるような人だった。明治国家も、全盛期のアメリカも、「国のために死ね」「民主主義のために死ね」と言える国だった。だがいまや、命を吸い上げるほどの力を持っているのは、芸術だけである。だからこそ、今、芸術が重要なのである。(全10話中第2話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
魂の芸術(3)芸術だけが魂を賦活する
芸術だけに、魂を揺さぶる力がある。だからこそ、そのような芸術を集め、後世に残していかなくてはならない。感性は「頭」ではよみがえらない。「心」からよみがえるのである。200年後、もし日本人の魂がもう潰れていたとしても、残された芸術を好きになってくれる人がいれば、「燃えるような魂」がその人の魂の中で、必ずや生き返ってくる。(全10話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
魂の芸術(4)オリジナルとは「間違い」である
松下幸之助は、サミュエル・ウルマンの「青春」という詩を好んだが、自分で好きなところだけを、自己流にピックアップして飾っていた。「自分はこれが好きだ」ということが大切なのであって、それが正しいとか正しくないということは関係ないのである。「間違い」を信じるのは力が要る。だが、そのような「間違い」こそ、役に立つ。自分なりに解釈したオリジナルでないと、オリジナルな生き方はできない。そして世界に1つしかないオリジナルは、ほかの人たちからは「間違い」に見えるに決まっているのである。(全10話中第4話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
魂の芸術(5)「宇宙の呼吸」―求心と遠心
戸嶋靖昌は、がんを宣告され、自らの余命を2カ月~3カ月と聞いてから、最後に作品を完成させたいと、治療も受けずに絵を描くことに打ち込み、それが絶筆となった。戸嶋の絵の凄い点は放散していく力。いわば遠心力である。一方、もう1人、執行草舟が惚れ込んだ画家・平野遼の絵は「求心力」の絵である。遠心力と求心力、両者の組み合わせは、まるで宇宙の呼吸である。芸術家が全身全霊を傾けた作品は、自らの魂を賦活してくれる。(全10話中第5話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
魂の芸術(6)「自分が愛する芸術」を持つ大切さ
芸術作品について、誰かの解釈を信じたら、その芸術は自らの魂には響いてこない。どの芸術に、どのようなつながりがあるのか。精神的な連関性はどこにあるのか。それらはすべて自分自身で感じ取るべきものなのである。自らの魂に感応した芸術作品を愛し抜き、自分自身の魂に押し込んでいく。そうすることによって、自己の魂は成長していくのである。(全10話中第6話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
魂の芸術(7)肖像画に見る「根源的共同化」とは
戸嶋靖昌の肖像画は、描く対象の顔と、戸嶋自身の顔が融合している。これこそ、まさにハイデッガーがいう「存在の根源的共同化」なのである。だから、その肖像画は、描く対象には似ていない。だから、戸嶋の肖像画はお金にはならなかった。お金になるのは、精密に、忠実に「写生」をした絵である。まさにそれが、多くの発注主が求める絵だからである。だが、真の芸術は、「存在の根源的共同化」を成し遂げるような「魂の共有」ともいうべき力から生み出されるのである。(全10話中第7話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
魂の芸術(8)民主主義は再考せられねばならない
大衆民主主義が絶対に滅びることは、すでにキルケゴールや、オルテガが喝破していることである。しかも、日本や独仏など多くの国が、「間違いを排除する」社会になってしまっている。だから、子どもがケンカすらできないような状況が生まれている。そもそも、政治で言えば、議会が生まれたのは、絶対君主制に対抗するためだった。その絶対君主がいなくなったら、議会はファシズムにならざるをえない。今の時代のように「正しいことしかできない」のであれば、「死んだこと」しかできないのだ。政治は日々生きているのに、「正しいこと」しかできないのであれば、何も言えない、できない。つまり国家の滅亡にまで至る危機的時代に我々は生きている。(全10話中第8話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
魂の芸術(9)本当に社会を動かす「悪」の力とは
「家族を捨てた人間は冷たい悪人だ」というなら、仏陀は、まちがいなく「冷たい悪人」の代表例になってしまうだろう。逆にいえば、それが真実なのだ。女房子どもも捨てるような非情な男でなければ、社会を指導するなどということは無理な場合がある。極端に言えば。それがわかる社会に、もう一回戻らないとダメなのだ。そういう意味で、「悪人じゃないとダメ」であり、「悪いことをするのが正しい」と考えるべきだ。(全10話中第9話)
※インタビュアー:神藏孝之(10MTVオピニオン論説主幹)
魂の芸術(10)人間が「自分のオリジナル」で生きる社会
IT産業の社長などが言うような、人間が遊んで暮らせる社会、社会保障が行き届いて、AIロボットが嫌な仕事は全部やってくれて、人間は嫌な労働もしないような社会は、きっと実現するだろうが、そう考えることによって実は人類が滅びるのである。そうではなくて、人間が「自分のオリジナル」で生きる社会にしなければならない。そのためには、不良を許し、間違いを許さなければならない。なぜなら、「正しいものを描こう」としたら、いい絵は描けないのというのと同じだからだ。(全10話中第10話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
武士道の神髄(1)『葉隠』を生きる
武士道を自ら「実践する」ために参考になるのは『葉隠』しかない。それ以外は解説書であり、生き方の役には立たない。『葉隠』の最大の魅力は、「死ぬために生きるのが人生」と言い切っているところである。『葉隠』を読むことは、山本常朝という体当たりで武士道を生きた武士との対話でもあるのである。(全10回中第1回)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
武士道の神髄(2)「死ぬ事と見附けたり」の本義
信じるもののために命懸けで生き、殺されても文句を言わないのが武士道。その意味では西部劇の主人公たちは、悪人であっても武士と言える。失敗しても自己責任と考えるのが『葉隠』で、大事なのは成功するかしないかではなく、やるかやらないか。自分が命を懸けるべきものが何かは、運命によって決まり、この運命は何事にも体当たりすることで、初めて見えてくるのだ。(全10話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
武士道の神髄(3)いかに自分の命を使うかが武士道
武士道とは他人のために命を捧げること。戦国時代に宣教師によってもたらされたキリスト教もそうで、だから武士の間でいっきに広がった。命を懸けられる対象は、崇高なものだけである。命懸けをやってみればわかるけれども、自分のために命を懸けることはできない。だからこそ、今の自殺は自己中心的で、人間の死ではなく動物の死と同じだといえる。そもそも青春の苦悩とは、何に命を捧げるか探すことであった。それがわかり、実践して死んだのなら早死にでも不幸ではない。武士道とは自分の命をどう使い、どう捨てるかということなのだ(全10話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
武士道の神髄(4)どんな仕事でも全力でやる
武士道的に生きるなら、目の前にある仕事には命懸けで体当たりするしかない。何事にも命懸けでぶつかる人間は、魅力的だ。人間の生き方を美学として磨き上げるのが「武士道」なのである。また「自分が好きなもの」は、「自分の運命」ではないことが多く、「好きなもの」をやるほど運命から外れる。才能がある分野は、その道の大変さがわかるから嫌いになる。だから嫌いだと思っていることの中に、自分の才能や運命が潜んでいる場合が多いのである。だからこそ、どんな仕事でも全力で当たらねばならない。(全10話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
武士道の神髄(5)「縁」こそが運命である
その仕事が与えられたのは「縁」があるから。「縁」を大事に考えるなら、どんな仕事も大切になる。かつての武士たちも主君は選べなかった。すべては縁で、縁が運命なのだ。日本人に生まれたのも縁で、それを否定すればくだらない人間で一生を終える。仕事でも何でも同じこと。武士道は武士だけのものではなく、日本人は商家も農家もみな武士道で生きてきた。その武士にしても、『葉隠』が説く武士道とは、武士たちが「悪党」と呼ばれていた頃の武士道を懐かしんでまとめられたものだ。(全10話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
武士道の神髄(6)守るべきもの、愛すべきものはあるか
武士道とは「愛」のために自分の身を捧げるものである。愛が強いほど、人間は強くなれる。逆に言えば、守るべきものや愛すべきもの「なし」の暴力は、暴力団と何ら変わらない。その「守るべきもの」「愛すべきもの」のなかでも大事なのが、家族への愛である。だからこそ、「宿命」を愛することが大切になるのだ。日本人であることを愛し、家を愛し、親を愛する。そこから始まらないかぎり、人間は始まらない。(全10話中第6話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
武士道の神髄(7)立脚点をいかに見つけるのか
どの家にも、いいところは必ずある。今まで続いてきたということは、生命的に見て、何か「いいところ」があるのだ。それを見つけることが重要で、それが武士道の立脚点にもなる。家族への愛の深さという点で言えば、家族同士の喧嘩も愛情表現の一つである。そうして立脚点を見つけたら、あとは運命に向かって体当たりをしていく。運命は一人ひとり違うから、教えてくれる人は親でもなく、一人もいない。だから読書をして、歴史や文学に学ぶしかないのである。(全10話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
武士道の神髄(8)切腹とは「死ぬこと」ではない
かつて武士は、失敗をしたときには「切腹」をして責任を取った。だが、それは、かつての武士の社会では、切腹は名誉な行為であり、切腹をすることで家の存続が許され、子供が跡を継げるからであった。つまり、切腹とは「死ぬこと」ではなく、「復活」のためのものだったのである。そう考えれば、そのような仕組みがない現代では、「責任を取って自殺する」などということは、ただの「逃げ」である。現代における「切腹」とは、「本当に自分の失敗を認めて、もう一回やり直すこと」である。実は現代人にとって、これはかつての切腹よりも困難なことかもしれない。(全10話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
武士道の神髄(9)大事なのは名を残すこと
突進して死んだのなら、戦場で犬死にしても恥ではなかったが、逆に臆病な死に方をしたら、家が取り潰しになるのが武士であった。生きるか死ぬかの場面では、死ぬほうを選べというのが『葉隠』の思想だが、これは、そのような厳しい戦場のあり方を前提としたものだったのである。考えてみれば、戦場で背中を見せるのは「敵前逃亡」であり、その意味において罰せられても当然であろう。しかも、現実を現実として見る目がなければ、到底、戦いに勝てるはずもない。つまり武士たちは、きわめて合理的で、科学的でもあったのである。だから明治になって武士出身で科学者として活躍した人も多かった。むしろ現在のほうが迷信的ではないだろうか。(全10話中第9話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
武士道の神髄(10)『葉隠』が説く真の平等思想
『葉隠』にある「同じ人間が、誰に劣り申すべきや」という言葉。この信念があるからこそ、自分に真の誇りも持てるし、今の自分の失敗も素直に認められる。どれほど偉い歴史上の人物も、同じ人間である以上、挑戦すれば誰でも何にでもなることができるのだと、思い切ることができるか否か。逆に、「自分には才能がない」と自分で言ってしまったら、そこで終わってしまうのだ。この思想は、日本人の一番素晴らしいところであろう。偽物ではない、真の平等思想、本当のヒューマニズムが武士道にはあるのである。(全10話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)