モンテーニュが説いた「歴史を勉強すること」の意義
「教養とは何か」を考えてみよう(15)【深掘り編】学んだ価値観にハマるリスク
三つ目の問いは、学びが深まるにつれて一つの価値観に凝り固まってしまい、バランスのとれた見方を失うことのリスクについてである。それは思想を深める者にとって避けるべき危険なのか、他者と意見を交わし合うことは、そのためにどう役立っていくのか。質疑応答編その3。(全15話中第15話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
筑波大学人文社会系 教授
「教養とは何か」を考えてみよう(15)【深掘り編】学んだ価値観にハマるリスク
三つ目の問いは、学びが深まるにつれて一つの価値観に凝り固まってしまい、バランスのとれた見方を失うことのリスクについてである。それは思想を深める者にとって避けるべき危険なのか、他者と意見を交わし合うことは、そのためにどう役立っていくのか。質疑応答編その3。(全15話中第15話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「教養とは何か」を考えてみよう(14)【深掘り編】身につけるか、身から引き離すか
キーボードを意識しなくなるほどパソコンに習熟すれば、パソコンから自由になれる。また一方で、身につけた知識の鎧を脱いでこそ、本当の自分を磨き上げていくことができる。教養を身につけていくプロセスで一見矛盾するように思える二つは、どのように考えればいいのだろう。質疑応答編その2。(全15話中第14話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「教養とは何か」を考えてみよう(13)【深掘り編】学びの在り方
自分が苦心して学び、気づいたことに対して、先人がとっくに答えを出していたと分かったとき、わたしたちはどう考えればいいのか。それは骨折り損の行為なのだろうか。対話講義の後に行われた質疑応答編その1。(全15話中第13話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
「教養とは何か」を考えてみよう(12)教養は役に立つのか
日本で「教養」という言葉が使われ始めたのは明治末期のことである。その後、教養には「学問と芸術によって知性や人間性などの人格を高めていく」という意味が付加されていく。今は一般に実生活では役立たないもののように捉えられる節もあるが、そうではなく、それは実学においても重要で、わたしたちにとって不可欠なものだ。実はかつて福沢諭吉が「修身」という言葉で、教養の効用を説いていた。(全15話中第12話)
「教養とは何か」を考えてみよう(11)教養はみんなのもの
プラトンの『第七書簡』には「書かれることのない事柄」についての言及がある。文字では伝わらず、共同体における共同生活と共同探求のなかでしか伝わらない事柄。それが哲学であるとすれば、教養は個人が所有するものと言えるだろうか。それは「散歩」や「遠足」のようなものだと五十嵐氏は言う。(全15話中第11話)
「教養とは何か」を考えてみよう(10)人間だけがなぜ話をするのか
大型の動物のなかでなぜ人間だけが話をするのだろうか。二人の哲学講師は「生物学的早産」による就巣性に目を向ける。人間が独り立ちするまでの長期間、子育てをしない社会はない。そこにはコミュニケーションが生まれ、規範が発生する。それは「緑の国」と「ピンクの国」との分かり合えなさや融和の方法にもつながっていく。(全15話中第10話)
「教養とは何か」を考えてみよう(9)リベラル・アーツと脱我
「本来のわたし」とは、どこまでを指すのだろうか。対外的に意味をなすための名前も地位も「わたし」を守るための鎧だとすると、わたしは鎧に奪われてはいないだろうか。その鎧を捨てたり抜け出したりして自由になるためには「勇気」が必要だ。それもまた、教養の一つの定義なのだろうか。ここではさらに「自由」というキーワードにも関係する「リベラル・アーツ」について、歴史的に振り返ってみたい。(全15話中第9話)
「教養とは何か」を考えてみよう(8)カンニング事変
今回は意外にも「カンニングの告白」から話が始まる。生徒時代のカンニングはありふれた行為だが、その後、優越感と劣等感にさいなまれながら、どのように自分が変化するか、そこは教養とも大きく関わってくる。それは己のなかに「規矩」をつくれるかどうかという問題でもある。(全15話中第8話)
「教養とは何か」を考えてみよう(7)レジリエンスと「死者」
教養のもう一つのキーワードとして「レジリエンス」という言葉を挙げたい。「回復力」とか「忍耐力」という意味の言葉だが、他者との出会いによってつまずいたわたしたちは、立ち直っていく過程で教養を磨いていると考えることもできる。そうであれば、そのために必要な他者として、「究極的な他者」である「死者」について話は進んでいく。(全15話中第7話)
「教養とは何か」を考えてみよう(6)自力か他力か
教養は一般的に「身につける」ものと言われるが、本当にそうだろうか。未知の人と知り合うのは、世界の多様性を知ることにつながる。そのとき、人は自分を磨いているのか、人によって磨かれているのか。また、人は安定を求めがちだが、未決や不安定の状態にあることは、変化への無限の可能性を開くことになる。(全15話中第6話)
「教養とは何か」を考えてみよう(5)「大吟醸」のように磨かれて
古代ローマの雄弁家キケロは、教育には二種類あると述べた。子どもに対する教育が一通り終わった後、必要になるのが「フマニタス・ポリティオル」という「人間性を磨く」ための教育だという。人間性を磨くのは、キラキラにするためではない。余分なものを削って普遍にたどりつくためである。(全15話中第5話)
「教養とは何か」を考えてみよう(4)外国語から「教養」を考える
日本語の「教養」という言葉に相当する外国語には、「耕す」というニュアンスの英語“culture”とともに、「つくる」というニュアンスのドイツ語"Bildung”がある。両者の違い、あるいは重なりはどこにあるのか、日本人には分かりにくい。また、「同情・共感」を意味する英語“sympathy(シンパシー)”と“empathy(エンパシー)”の違いも、教養とは切っても切れない関係にある。(全15話中第4話)
「教養とは何か」を考えてみよう(3)知識の「箱」に縛られない
教養が単なる「知識の貯蔵」でないことは、誰もが知っている。知識の「箱」に縛られることなく問いを立て直し、問いと答えの一対一の対応を破り、新たな関係を見いだすためには想像力や発想力が必要とされる。しかし、そうした力を養成することはできるのだろうか。そのための実践的な方法はあるのだろうか。(全15話中第3話)
「教養とは何か」を考えてみよう(2)「壊れたペン」と教養の関係
「オネットム」はパスカルの定義した「素晴らしい人間」像であり、「教養人」と重なる部分も多い。それは、自分の心をオープンにして他者とつながることができる人のことだ。その能力があれば、「壊れたペン」でも「壊れたペン」にはならず、何かに意味付けして使うことができる。それが「教養がある人」ではないだろうか。(全15話中第2話)
「教養とは何か」を考えてみよう(1)「あの人って教養あるよね」とは
「教養」について話すのは面はゆい。話す当人が「自分の教養を疑ってもみない」人間であるように見えてしまうからだ。そうした厚顔さは教養と相容れないものだが、その理由はどこにあるのだろう。わたしたちはどのような人に「教養」を感じるのか。前回の「『幸福とは何か』を考えてみよう」シリーズに続き、哲学講師二人が筑波大学で行われている「哲学カフェ(※)」の雰囲気のもと、教養について対話を重ねていく。(全15話中第1話) ※「哲学カフェ」:筑波大学では身近なテーマについて哲学講師を交えて話し合う「ソクラテス・サンバ・カフェ」(通称「哲学カフェ」)が毎月開かれている。中学生以上の一般市民ならだれでも参加でき、高校や中学での「出張」も行われてきた。
「幸福とは何か」を考えてみよう(9)ガチでわたしらしく、やりませんか
古今の哲学者を通して幸福や幸運について対話してきた「哲学カフェ」だが、最終回ではハイデガーの思想が語られる。他者からの「記号的存在」を超えた「本来的存在」として生きるには、自らの存在の本質について問い、一瞬ごとに賭ける姿勢が必要になる。それは「今、ここ」を大事にすることにもなる。(全9話中9話)
「幸福とは何か」を考えてみよう(8)「偶然」に身を任せてみますか
幸福かどうかは自分で決めるとしても、人は幸福に「なる」のか、あるいは幸福で「ある」のかという疑問は残る。フランス啓蒙思想のルソーは、現在という瞬間における私の存在感こそ幸福の鍵だと論じた。話題はさらに「幸福」と「幸運」の関係に移っていく。人はどうすれば幸福に「なれる」のか。(全9話中第8話)
「幸福とは何か」を考えてみよう(7)今日の話にモヤモヤしましたか
「人は哲学を学ぶことはできない」というカントの言葉は、「せいぜい哲学することを学べるだけだ」と続く。では、哲学講師の二人は「哲学する」ことについて、どのような役割を自身に課しているのだろうか。そして、本シリーズの視聴者が「哲学する」可能性は、どのように開かれるのだろうか。(全9話中7話)
「幸福とは何か」を考えてみよう(6)渇いているのは喉、それとも心ですか
「最大多数の最大幸福」で知られるベンサムとミルの「豚の哲学」へと話は移行する。幸せは量なのか、質なのか。飽食時代のわたしたちは渇いた心を潤すために、喉の渇きや生理的な食欲を利用してしまってはいないだろうか。(全9話中6話)
「幸福とは何か」を考えてみよう(5)「幸福は最善」って本当ですか
アリストテレスは「幸福は最善」だと明晰に定義づけたが、近代の思想家はそうでもない。パスカルは「人間は不幸から逃れて生きている」と言い、フロイトは「人は幸福を求めて病になる」と言った。筑波大学で「哲学カフェ」を主催している二人の対話は、幸福と欲望の関係へと移る。そこで浮かび上がってきた「BMIの法則」と、その中核をなす「ライオン食べ」とは何だろう。(全9話中5話)
「幸福とは何か」を考えてみよう(4)「○○できるようになる」までは不幸でいいですか
日々の学校教育では、未来の目的達成のために現在の快楽や幸福を犠牲にすることが強調される、と「哲学カフェ」から厳しい指摘がなされる。それは、子どもたちにどんな自己認識をもたせるのだろう。近代ドイツの哲学者カントは、そのことについて、どのように考えをめぐらせたのだろうか。(全9話中4話)
「幸福とは何か」を考えてみよう(3)共感しますか、共有しますか
幸福はその人の感じ方次第なら、「おめでたく」なることで、それは簡単に手に入る。だが一方で、幸福には「共感」が欠かせないとヒュームは言う。共感について考えていくとき、揺さぶられるのは個々人の感情だが、感情に果たして特定の「主体」はあるのだろうか。「哲学カフェ」の二人の哲学講師が、古今の幸福観に迫る。(全9話中3話)
「幸福とは何か」を考えてみよう(2)幸せは、どこで感じますか
第2話では幸福の感じ方やそれを測る尺度について、二人の哲学講師の話がはずむ。エピクロスが言うように自己充足が幸福であるならば、他者の存在は必要ないのか。社会的に無力な人の幸福とは何か。(全9話中2話)
「幸福とは何か」を考えてみよう(1)なぜ幸せになりたいのですか
筑波大学では、身近なテーマについて哲学者を交えて話し合う「ソクラテス・サンバ・カフェ」(通称「哲学カフェ」)が毎月開かれている。中学生以上の一般市民ならだれでも参加でき、高校や中学校への「出前」も行われてきた。今回は二人の哲学講師に、テンミニッツTVの動画を通じて、「哲学カフェ」の雰囲気のもと、「幸福」について語り合っていただいた。(全9話中第1話)
デカルトの生涯に学ぶ(1)デカルトの死と宗教戦争
西洋哲学史上にその名を燦然と残すデカルト。だが私たちは、彼がどのような生涯を送ったのか、あまり知らない。筑波大学人文社会系准教授の津崎良典氏が、彼が晩年にスウェーデンに向かった動機や、実は暗殺されたのではないかという説について解説する。(全2話中第1話)
デカルトの生涯に学ぶ(2)死後の事件とデカルトの骨
デカルトは死後も、事件に巻き込まれる。最初、スウェーデンの首都ストックホルムにある共同墓地に葬られた遺骨が、その後、フランスへ移送されることになり、その移送中、なんと頭蓋骨が盗難されてしまったのだ。その頭蓋骨はその後、どうなったのか。現地の写真とともにその足跡を追う。(全2話中第2話)
デカルトの著作に学ぶ(1)『世界論』『方法序説』
デカルトが四年の歳月をかけて準備した『世界論』の出版直前に、一つの宗教裁判が衝撃を与えた。地動説を唱えたガリレオの有罪宣告である。結局『世界論』の出版は断念され、『方法序説』公刊への道をたどることになる。そこにはどんな経緯があったのか。デカルトの戦略を含めて解説する。(全2話中第1話)
デカルトの著作に学ぶ(2)『省察』『哲学原理』『情念論』
デカルトは生前、『方法序説』以外にも『省察』『哲学原理』『情念論』の三冊を公刊している。いずれもデカルトを理解するうえでは重要な著作ばかりだが、それぞれ誰に向けて、そしてどのように書かれているのか。(全2話中第2話)
デカルトの方法論に学ぶ(1)精神能力を鍛えるための方法
人は誰しも、困難にぶつかることがある。では困難を乗り越えるためにはどうすればよいのか。デカルトによれば、そのための方法はたった四つしかないという。それぞれどのようなものなのか。(全2話中第1話)
デカルトの方法論に学ぶ(2)規則が四つしかない意味
方法(method)という言葉は、古代ギリシャ語では「道を沿って」という意味になる。道に沿っていくことが、どのようにして難題を解決する糸口になるのだろうか。それは私たちにどのような教訓を与えるのだろうか。(全2話中第2話)
デカルトの存在論に学ぶ(1) 「我思う、ゆえに我在り」
哲学者デカルトの最も有名なフレーズ「我思う、ゆえに我在り」。しかし、津崎良典氏によれば、これがデカルトの専売特許であるというのは正しくないという。それはどういうことか。デカルトはいったい一体何を語ろうとしていたのか。(全3話中第1話)
デカルトの存在論に学ぶ(2) 心身二元論とは何か
デカルトは方法的懐疑によって、疑う私は存在する、と考えた。では、精神ではなく、物体はどのようなものとして理解すればよいのか。物体と精神との関係、そして「心身二元論」について解説する。(全3話中第2話)
デカルトの存在論に学ぶ(3)疑う《私》の有限性
デカルトの「我思う、ゆえに我在り」は、同時代の人からアウグスティヌスの焼き直しであるとの批判を受けた。しかし、言葉自体は同じでも、その意味は異なると津崎良典氏は言う。それはどういうことなのか。彼のオリジナリティがいよいよ明らかにされる。(全3話中第3話)
デカルトの哲学的処世術(1)『方法序説』の巧みな比喩
『方法序説』第二部冒頭で、デカルトは「自分の思想を改革する」と述べている。それは時として自分や社会の偏見を疑うことにもなり、そうすると人間関係に波風が立つ。このジレンマをどのように解決すればよいのか。津崎良典氏は、デカルトの「処世術」に着目する。(全3話中第1話)
デカルトの哲学的処世術(2)穏健に生きるための格律
デカルトが説く「当座の道徳」は、穏健に生きるためのヒントが詰まっている。津崎良典氏によれば、デカルトは三つないし四つの格律に従えば穏健な生活が送れるという。その格律とは。(全3話中第2話)
デカルトの哲学的処世術(3)長い修練と熟考の必要性
人には、納得がいかない出来事というものがある。一年たっても二年たっても飲み込めないことはあるだろう。ではどうすればよいのか。デカルトは処世術の習得について、長い修練と熟考の必要性を説く。(全3話中第3話)
デカルトの科学論に学ぶ(1)解析幾何学の発明
「解析幾何学」と言われてもピンとこないかもしれないが、X軸とY軸のグラフと言われれば、中学校で習ったことを思い出す人も多いだろう。それは実は、デカルトの発明である。あまり知られていないデカルトの科学的業績について紹介する。(全2話中第1話)
デカルトの科学論に学ぶ(2)デカルトの功績と科学革命
17世紀は「科学革命」の時代であるとも言われる。ガリレオやニュートンによる科学的発見など、実験や観察による進展が多くの分野で見られたが、デカルトもまた、物理学、医学や天文学において多くの科学的な発見をした人物である。(全2話中第2話)
デカルトの感情論に学ぶ(1)愛に現れる身体のメカニズム
初めて会った人なのになぜか好意を抱いてしまうことがある。だが、なぜそうした衝動が生じるのかは疑問である。デカルトが友人シャニュに宛てた「愛についての書簡」から話を起こし、愛をめぐる精神と身体の関係について論じる。(全2話中第1話)
デカルトの感情論に学ぶ(2)感情をコントロールするには
恐怖は消そうと思っても、消えるものではない。デカルトの感情論の特徴は、恐怖を別の感情でコントロールするというものである。そのためには何が重要となるのか。デカルトの『情念論』から読み解く。(全2話中第2話)
私のおすすめ本~「学ぶことを学ぶ」ために~
学ぶとは、どういうことだろうか。津崎良典氏は、新しいものの見方・考え方を模索している、或るデザイナーについての本を紹介。そこからヒントを得る、刺戟的な《学びの哲学》に耳を傾けよう。