『将軍の世紀』に学ぶ
関ケ原の戦い~勝者と敗者を分けたもの(1)家康勝利の功労者とその遺言
日本近世史のエポックである「関ケ原の戦い」。制したのは徳川家康だが、その勝利はある武将の存在なくしてはあり得なかった。その武将とは一体誰なのか。彼は内密に書き残した遺言の中で、何を語っているのか。歴史学者の山内昌之氏が、関ケ原を動かした武将の遺言を取り上げ、そこに描かれる歴史のドラマ性を解説する。なお、『文藝春秋』2018年1月号(2017年12月8日発売)より「将軍の世紀」と題した山内氏の連載が開始。今後もその連載に関連するレクチャーを随時配信していく予定だ。(第1話)
関ケ原の戦い~勝者と敗者を分けたもの(2)黒田長政の知略
関ケ原の戦いは天下分け目の争いであるにもかかわらず、わずか1日で決着が付いた不思議な戦争である。この戦争で家康に勝利をもたらした最大の功労者は、武将・黒田長政だった。長政はどのようにして豊臣恩顧の武将を説得し、毛利家や小早川秀秋を味方につけることができたのか。歴史学者の山内昌之氏が解説する。(第2話)
敗者の戦後~毛利家と吉川家(1)毛利家、吉川家それぞれの関ケ原後
関ケ原の戦いにおける「敗者の戦後」に焦点を当てたシリーズレクチャー。歴史の解釈には往々にして色付けがされるが、勝者だけでなく敗者も自らの正当化のためにそのような行為に及ぶものだと語る山内昌之氏。関ケ原の戦い後、敗者でありながら政治的に生き残った毛利家と、その一員であった吉川家を例に、敗者の戦後について論じる。(全2話中第1話)
敗者の戦後~毛利家と吉川家(2)吉川家という不思議な存在
関ケ原の戦いの敗者であった毛利家と吉川家。毛利家は幕府より三分家の藩を認知されたが、吉川家はその毛利家に所属するも単純な家臣ではなく、さりとて純粋な大名でもない。いったい吉川家はどのような存在だったのか。(全2話中第2話)
江戸時代の異常気象と天下人の仕事
浅間山の噴火、頻発する山火事、荒波、死者も出るほどの巨大な霰(あられ)。そうした異常気象を、江戸時代の人々は「天の意思」と見た。社会不安を鎮めるために、当時の為政者、天下人が取った策とは?
将軍のプレゼント
江戸時代、「あるもの」が、金銀や絹よりも価値ある贈り物として武士に尊ばれた。武家社会ならではともいえる、「あるもの」をめぐる贈答文化。その「あるもの」とは? 贈答様式に垣間見える江戸時代の日常とは?